不来方抄 城戸朱理詩集

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 1994年5月、思潮社から刊行された城戸朱理の詩集。附録栞は高貝弘也「永遠の言葉」。第5回歴程新鋭賞受賞作品。

 

 私は、北の小都邑で生まれた。東と西を山系に狭まれた盛岡は、川に恵まれた山あいの地方であり、高地特有の低い空と北国特有の深々とした針葉の緑に囲まれた静かな街である。中津川と北上川が合流するところに、石垣だけの城跡を残すその街の古名を、不来力(こずかた)と云う。

 不来力とは、二度と来ない所という意味であり、その地名のいわれは次のように語られている。時も知れぬ上代に、飛来して大地に突き立った三つの火山弾が、いつしか神体として人々の信仰を集めるようになり、三ッ石の神と呼ばれるようになった。ところが、時代を経て、鬼が現われ、しばしば里人を苦しめたので、人々は三ッ石の神に祈り、悪鬼を捕えてもらった。鬼は恐れおののき、二度とこの土地に来ないことを誓い、その証として三ッ石に手形を残して去ったのだと伝承は伝える。巨石に残された手形から、「岩手」という地名が生じ、二度と来ないと誓った場所であるということから、「不来方」という呼び名が生じた。それが、口伝のあらましである。

 二十代の終わりから、私にとっても故里は、時折、訪れるところでしかなくなった。久力の帰郷のたびに、私は「不来方」という地名のいわれを想い起こす。その山河は、なつかしいしのである以上に、痛ましい。それは、ただ、たんに自分のいささかの感傷を反映しているだけなのかも知れぬ、だが、私は、郷里の土を踏むたびに、そこが二度と訪れるべき場所ではなかったことを確認するのだった。

 しかし、実のところ、「郷里」と名指される特権的な土地への違和にとどまりつづけようとすることは、「郷里」への順当な親和を生きることと同じていどにたやすいものでしかない。ノスタルジー(nostalgie)とは、その語源を辿るならば「帰還」(nostos)の「苦しみ」(algos)にほかならないのだから。適度な距離を措いた遠景として「郷里」をやり過ごさぬために、ある時期から、萩原朔太郎の「郷土望景詩」をならって、時折、盛岡の風水を背景にした詩作を試みるようになった。しかし、詩篇は、朔太郎のそれとは大きく隔って、いささかの望むべき眺望も現われることはなく、かわりに、「あなた」と名指される幻のような女性を生むこととなった。一篇ごとに別人の相貌しか見せぬ「あなた」とは、いったい誰なのか。そして、その女性の幻像が、何を秘めるのかは、私にも判然としない。彼女は、凍った叙情をその身にまとうようにして、忘れたころに私を訪れ、いつの間にか去っていく。ただ、たしかなのは、これらの過激に叙情を仮装する詩篇が、ひたすら、何かを捨て去ろうとしていることだけである。
(「覚書」より)

 

目次

  • 臨月
  • 写本
  • 通信
  • 祭器
  • 草子
  • 金蟬
  • 不来方
  • 破約
  • 自磁
  • 産月

解題
覚書


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