2009年9月、新教出版社から刊行された東條耿一(1912~1942)の詩文集。装幀は桂川潤。
はるか昔のことになりますが、私は北條民雄に関する小文を書きましたが、そのなかで東條欺一の名を知りました。この人は北條の無二の親友で、多磨全生園を代表する詩人でもありました。この人が晩年にキリスト教(カトリック)に帰依したと聞いて関心を持ちましたが、結局その時はそれで終わりました。ところが二〇〇五年になって偶然知り合った村井澄枝さんから東條耿一の詩と散文を示され、五十年ぶりに東條耿一に「面会」した次第です。
この出会いは、私にとって、ショックでした。私は、昭和十年代の、あの北條らの生きていた全生園に一瞬にして連れて行かれました。それは現代のハンセン病療養所となんという違いでしょう。
東條は一九三三~一九四二年(昭和八~十七年)、二十一歳から三十歳まで、約十年間全生園に在園していますが、初めの七、八年は詩の時代(立派な小説も書いているが)であり、その後四、五年は信仰の時代でした。東條耿一について語ろうとすれば、北條民雄について触れることになります。
戦前のハンセン病療養所はまさしく暗黒の時代でした。そのなかで北條がいかに苦悩し絶望したかは彼の作品を見ればよく分かります。そして北條の盟友として東條も全く同じ苦しみを共有しています。北條は書いています。
「文学も哲学も宗教も糞喰えだ。僕の体腐って行く。ただ一つ、俺はらい病が癒りたいのだ。それが許されぬなら、神よ、俺を殺せ。」(日記)
「しみじみと思う。怖しい病気に憑かれしものかなと。
慟哭したし。
泣き叫びたし。
この心如何にせん。」
しかし、北條の死後(一九三七年=昭和十二年)東條耿一は驚くべき変貌をとげます。東條は書いています。朝の祈りをすませて、番茶を愉しんでゐる耳に垣外の雲雀の声が流れて來る。雲雀はなかなか稼ぎ者だ。この頃では四時と云ふともうさかんに鳴揚る。(中略)
彼等の歌に溢れるもの、私の心にたゆとふもの、それは等しく今日を息づく者の喜びである。不具であれ、病身であれ、今日を斯く生かされて在り、生きてゐるのは、理屈をぬきにして有難い事である。
私は癪になって二十年のこん日、どうやらこの大いなる恵みを思ひ生きる事の愉しさを思ふ。少年の頃は家の貧しさを嘆いた。飲んだくれの父を憎んで慰さまなかった。癩の宣告を受けた時には、如何なれば膝ありて承けしや、如何なれば乳房ありて我を養ひしや、と父母を呪ひ生を憎んだ。それからの数年は生をもて余し、酒と女と享楽に憑かれて暮した。常に死を思ひ、また幾度となく自らの生命を断たうとした。癩院に来てからも依然生をうとみ、囚人の心で自棄に生きた。眼が悪くなった時にはワナに掛つた鼠の様に足掻き続けた。(中略)
疫くづれる肉体をもつてゐる私は現在、週三回五グラムの大風子油注射をしなければ保つてゆかない。而もこれは私の生ある間続くのである。その他疵の手当、不治の疾患もある。間もなく杖もつかねばならぬだらう。咽を抉る様になるかも知れない。その他有形無形の苦痛が走馬燈の様に私を包んでめぐるであらう。然し、どんなにくづれても腐つても、与へられた境遇に従つて生きるは貴い心であり、無上の喜びであると思ふ。この心には頬もなければ健康もない。在るものは生かす者の心であり、生かされる者の感謝である。
(「草平庵雑筆」)この、東條耿一の大いなる転換(回心)の詩的表現が、詩歌の最後を飾る「訪問者」です。彼の歩みに即して言えばこうなるでしょう。
一九二七年(昭和二年)、十五歳の少年東條耿一は神山復生病院でレゼー神父をとおして、カトリック信者になりました。間もなく彼は信仰を投げ捨ててしまいますが、若い魂に刻みつけらた信仰は消えることはありませんでした。一九三七年(昭和十二年)北條民雄の死を境として内憂外患が東條をおそうことになります。この苦難を契機として彼はカトリック信仰に復帰します(第二の回心)。こうして東條の大いなる変換はなしとげられました。私のこの小文は、主として東條の「晩年の手記」によっています。しかし、東條の本領は、むしろ彼の詩にあるでしょう。彼は短期間に多量の詩を書き残しましたが、彼は全生園で傑出していました。全療養所的に見てもそうでしょう。この詩を通して彼にアプローチするならば、読者は私とは違った「東條耿一」を発見するでしょう。そうなることを望みます。
(「『まえがき』に代えて―東條耿一との出会い/野谷寛三」より)
目次
「まえがき」に代えて――東條耿一との出会い 野谷寛三
凡例
・詩歌 夕雲物語
- 寂蓼
- 柚の実(小曲)
- 大境の子守唄
- 愛人の歌――わが限りなき思慕のひとに
- 乳房 或るコンミユニストの妻に代りて
- Chocolateのゆふぐれ
- 酸漿の詩
- 彼女とゆふぐれ
- 槍――私の恐迫観念症より
- 海亀
- 葬列のあるくれがた
- 羽子をつく
- 葬列
- そんな夜
- 桐の花
- ゆふぐれ
- 青鳩
- 少年
- 望郷台
- 舞踏聖歌
- 霧の夜の風景に詠める歌
- 鞭の下の歌
- 伴侶
- 心象スケッチ
- 別れて後に
- 夕雲物語
- 晩秋
- 樹樹ら悩みぬ――北條民雄に贈る
- 木枯の日の記憶――ひと日サーカスを観て
- 夕雲物語――改稿・その二
- 盂蘭盆
- 朝霧
- 白鳥
- 一椀の大根おろし
- 療養日記(その一)
- 療養日記 爪を剪る
- 閑雅な食欲 療養日記 その三
- 望郷台
- 散華
- 静秋譜
- 蜻蛉譜
- 天路讃仰
- 枯木のある風景
- 落葉林にて
- 病床閑日
・文集 霜の花
- 病床漫筆
- 初春のへど――俗物の歩み牛の如し
- 臨終記(北條民雄の最期を看取った東條耿一の手記)
- 霜の花 精神病棟日誌
・キリスト者の道
- 癒者の父
- 新庭雑感
- ルルドの引越
- 子羊日記 癩者の療養生活より
- 種まく人達 癩院の春の手帳から
- 鶯の歌(癩院雑記)
- 柿の木 癩者の療養生活より
- 草平庵雜筆――旧作
・遺稿
- 訪問者
- 癩者の改心―友への便りにかへて
解題 田中裕
「仮名」の周辺 村井澄枝
作品一覽
年譜
あとがき
関連リンク
東條耿一の生涯と作品
昭和12年頃の東條耿一と北條民雄(歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー)
東條耿一詩集について(歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー)
北条民雄、東條耿一、そして川端康成 ―― 深海で交叉するそれぞれの〈生〉