詩歌の起源 琉球おもろの研究 鳥越憲三郎

f:id:bookface:20190920170959j:plain

 1978年6月、角川書店から刊行された鳥越憲三郎の詩論集。装幀は大沢康夫。

 

 演劇が祭式に起源をもつと同じように、詩歌もまた宗教的発生に負うものであることについては、すでに多くの人から指摘されている。しかし本書はさらに詩歌が、直接には神託に起源することを、琉球の『おもろさうし』に集録されている神歌(オモロ)によって実証しようとするものである。
『おもろさうし』二十二冊は長短一五五三編のオモロを収め、首里王府の手で一五三一年から一六二三年にかけ、三回にわたって結集された。時代でいうと、室町中期から江戸初期に及ぶので新しいともいえるが、その内容は古代的である。それは琉球の社会形態が、古代の遺制を後世までつづけて来たことによる。
 実際オモロの創作時代は、古代的な神権政治の華やかな時期であった。そのため神託を主体とし、そのほか祭式歌謡、詩人の歌、祝い歌、さらに労働歌も多く含んでいるが、すべて宗教的・呪術的内容をもつものである。詩歌が宗教性を払拭したとき、芸術としての文学が成立するといえるならば、オモロは文学以前の作品だといってよいし、その意味において、『万葉集』以前に属するものだとみてもよかろう。わが国の記紀歌謡にあたるものがオモロなのである。したがってオモロは、詩歌の起源を探る好個の資料だといえる。しかも、その起源だけでなく、神託から祭式歌謡に、さらにそれが船歌などの労働歌や、また抒情詩へと発展して行く過程を、如実に見極めることもできるのである。殊に「呪術者的詩人」としての、原初的段階にある詩人とその作品を紹介越し得たことも、詩人と詩歌の本質を知る上で貴重なものであったと信じている。
 本書で取り扱うオモロが宗教的・呪術的作品であるだけに、いうまでもなく宗教学的立場からも、十分に考察しなければならないものである。実際オモロ時代は、神を目に見えない抽象的・観念的なものとはみず、現実に社会生活を営む女性を生ける神、すなわち現人神として、神を目に見える具象的・客観的なものとして捉えていた。そうした原初的な神観念を、宗教学の立場からも遺憾なく探求し考察したつもりである。そうした現人神の時代に、神託をはじめ、その他の詩歌がどのように作られたかに注目していただきたい。
 オモロの文法は、室町時代の文法に則っているが、方言としての訛りが多く、殊にサ行音とラ行音の脱落がおびただしい。そのため、これまで難解なものとされ、わずかなオモロが、それも大意を示す程度で紹介されたのにすぎなかった。それだけに解釈の上で、文法的にも幾多の誤りを犯した。
 そこで先年、拙著『おもろさうし全釈』全五巻として、一つの不明な語彙もなく、文法に則って完訳した。しかし、それが厖大なため、代表的なオモロを選んだ抄本の刊行を企図していたが、本書はその念願を果たしたものである。もちろん本書の性質上、文法の解説については省略したが、くわしくは前記の拙著を参照されたいと思う。
 なお本書に引用したオモロは、首里王府所蔵本(尚家本)を直接に台本とした。しかし原本には濁音もなく、また拗音の区別もされていない。そこで読者の便宜のため、濁音もつけ拗音も示しておいた。
 そして上段のオモロに対し、下段でそれを正しく標準文法に直し、さらに後で示した解釈は直訳を旨としたことを付記しておく。
 また巻末に付録として、引用したオモロのすべての語彙を掲載しておいた。方言としての転訛の様子がよくわかるであろうし、また表記と発音が異なることも興味深くみられるであろう。付録の語彙は参考としてよりも、文法的にオモロの本質を知る手掛かりになるものと思う。
(「序」より)


目次

  • 一 神託のもつ呪力
  • 二 おなり神の信仰
  • 三 日の神と主権
  • 四 百果報事の儀礼
  • 五 神権としての杖
  • 六 戦争の神託
  • 七 女神官の神名
  • 八 神迎えの歌
  • 九 神送りの歌
  • 十 幽祭の歌
  • 十一 祭式の歌
  • 十二 詩人の歌
  • 十三 労働歌としての船歌
  • 十四 恋の歌

付語彙集

 

NDLで検索
 Amazonで検索
 日本の古本屋で検索
 ヤフオクで検索