1996年6月、土曜美術出版販売から刊行された山田隆昭の第3詩集。第47回H氏賞受賞作品。
時間は万象のうえにひとしく刻まれているのだろうか。象と蟻の時間は違うのだという話を聞いた。生活上の必要から時間を摑まえ、人間は時計というものを作ってしまったのだが、これは人間以外の生き物には不要なものなのかも知れない。それぞれの生き物が、それぞれの時間をもっていてよいのだ。だが人間は、鳥の年齢をひとの年齢に換算したりする。これほどむなしい行為はないのだが、置き換えをしてみなければ実感できないということなのだろう。また、かげろうのいのちの短さをはかなさの象徴のようにいうが、これも人間の尺度からみた感情である。かげろうは、生まれてきたことの役割をきちんと果たして生涯を終えているはずだ。人間は決して、自分の年齢を鳥やかげろうの年齢に置き換えることをしない。個別のいのちは、個という姿を与えられているにせよ、もっと大きな生命体の一部であるはずなのに、人間は自己という個体からすべてを発想してしまう。これが誤りの出発点なのだ。
などとしたり顔で書いてしまったが、ぼくはどれほど自己中心的に生きていることだろう。後ろ指をさされるようなことを平気でする。嘘をつく、裏切る。自分のことは棚にあげて他者を批判する。それだけならよいが(決してよくない)、己れの行為を正当化する。このように背反する思考と行為のあわいでゆれる己れを人間を、丸ごとみつめていたいために詩を書いているらしい。ぼくは死ぬまで過ちを犯しつづけるにちがいない。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- 路地
- さかな屋
- ふとん屋
- とうふ屋
- 床屋
- 香具師
- 人質屋
- 合鍵屋
- はずれる
- 時間屋
Ⅱ
- 帽子について
- 似顔絵
- あやとり
- 水槽
- 冬の夜
- 梅雨
- 蕾
- 姿態
Ⅲ
- 抜歯
- 治癒しない病
- 呼ぶ
- 夜明け前後
- 駅
- 酒精嗜癖
解説 丸山勝久
あとがき