還る 名木田恵子詩集

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 1969年11月、埴輪から刊行された名木田恵子の第1詩集。なお目次不在のため各頁から詩篇名を拾った。

 三年ほど前、高校生向けの雑誌の詩の選をしていたとき、熱心に投稿してくる北原命という娘さんがいた。彼女はいつも細いペン字で、原稿用紙の枡目の中に小さなお城をつくるように、一字一字、きちんと書いてよこし、ぼくはそのきまじめな文字を眺めるたびに、何となしに白い少女のようなものを想像した。
 作品は女生徒らしく、いくらか「詩らしい詩」の尾をひいていたけれども、書き出しや締めくくりのうまいこの娘さんは、頭のいい無邪気さでいつもはたを抜いて光っていたのである。一年ほどたったある日、彼女は例の如く、細いきれいな字で一篇の詩をつづってきたが、その余白に「こんにちは。高校を卒業するのでこれがさいごです、ざんねんです。」というような、かわいらしいそえ書きがしてあった。
 このきたはら・めい君が、この詩集の著者、名木田恵子さんで、後で会ったときの彼女は――やはり白い感じの、髪を長く肩までたらした、牛若丸のような古典的な顔だちの少女であった。
 彼女がノートに書きつけた詩篇は、この詩集の何倍かの量になるが、ここに入らなかった作品に次のようなものがある。

いつもおなじところで
おなじようなまちがいをした
(ミでなくてファなのよ)
なんかいもそういわれた
だれよりも
そこがファであることを
知っていたのに
やはりいつも私は
そこをミ とひいた(ピアノ)

 これは十五才ぐらいの時の詩であろうか。しかし、彼女はその後もファでなくて、ミをひくものをみせているようだ。普通の人なら何の懸念もなしにファで通るものに、彼女は自分の音をたてて、その質のちがいのところでやさしい詩をつくっていったのである。

はなを は
黒っぽい色にしました
店の おばさんが
「おばあさまに?」といって
ほほえみましたが
私の げたなのです(私の音)

 あるいは、

エミリイ・ディキンスンは
失恋をしてから 白い洋服ばかり着たが
そうでなくても
私は 白を着ていた
――それがそのひとの好みだったので(つぶやき)

 このような彼女らしい詩句をひろいだせば、いくつもでてくるであろう。そうしてその上でぼくが感ずるのは、この人が稚く、やさしい感受性だけでなく、(自分では意識していないかも知れないが)たえず、生と死の問題を内包していることである。しかもそれは、大人たちのあのもっともらしい意識作用としてではなく、まったく軽やかに、少女特有の意地悪さをもって、ふいにあらわれてくるのである。

 きのう 香尊を出したさいふをあけて
 母は 娘に
 約束の 白い傘を買った
 きのう 葬式に出た母が帰ったとき
 塩をまいた 娘は
 空に近い フルーツ・パーラーで
 アイスクリームを つつく

 もう夏の空だと 母はつぶやき
 娘は 梅雨のことを 思っている
 白い傘のおかげで 雨の日が
 どんなに 楽しいだろう(きのうときょう)

 この人は今後どういうふうになるかは知らない。演劇かなんかやって、詩なぞさっさとやめるかも知れぬ。ぼくには投稿欄のときのように、きたはら・めい、いま書いていかないと、すぐ世の中のおくさんみたいになっちまうぞ、といいたい気持があるが、いまはすべて彼女自身にかかることだ。そして、ここにあるのは、十五のときからせっせと詩を書きはじめて、ついこの間、はたちになったばかりの人のつつましくもはなやかな成果である。ぼくにできることは彼女のもっとも大事なこの一時期五月の陽を透す若葉のようなみずみずしいものに対して、いささか羨望をまじえながら年上の者の祝福をおくることだけなのだ。
(「序/菅原克己」より)

 

 あるいは詩集にまとめるには、はやすぎたかもしれません。
 けれど、たよりない二十才をむかえようとする私には、どうしても必要だったのです。
 この中には、十五才から十九才までにつくった拙い詩をおさめました。のせることのできなかった多くの愛着ある作品の整理をしながら、私はずっと考えていました。
 自分は今までに、いったい何を得、何を失い、そして何を待っているのだろうか、ということ。――
 けれど、それもわかりませんでした。
 ただ、多くの人たち――父母、祖父母、親戚、先生、先輩、友達、などすれちがった人やものや自然たちが、何かすばらしいものを私に与えようとしてくれたことは感じています。マヌケな私は、そんなやさしい好意の多くを、うけとりそこねたようで残念です。
 つきなみな感謝のことばしかみつかりませんが、いつもあたたかく見守ってくださり、未熟な私にもったいないような序文を書いてくださった菅原克巳先生、私の願いを快くひきうけてくださり、美しい本にしてくださった松永伍一氏、野口幹彦氏――それに現在私の身近にいる人たちも、もう会えなくなった人たちにも、すべてに、心から「ありがとう。」を言わせてください。
(「あとがき」より)

 

目次

序 菅原克己

  • 嗚咽
  • 別れてから
  • 六月
  • 海が……
  • 浅いめざめ
  • つぶやき
  • 忘れた日
  • 都会
  • 許されるとき
  • 曇りの日に
  • ありがとう
  • 悲しんでいませんか
  • 遥(とお)い日
  • おめでたい詩(うた)
  • ノスタルジア
  • 白い蛇
  • 二月の朝
  • きのうときょう
  • からんどりえ

あとがき


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