ヘチとコッチ 第三集・土佐の言葉 その語彙をめぐって 小松弘愛詩集

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 2012年10月、土曜美術社出版販売から刊行された小松弘愛の第12詩集。装幀は直井和夫。

 

『ヘチとコッチ』に収めた詩は、同人誌「兆」(高知)に発表したものが多い。二○一一年二月、私はこの「兆」1号に、「あとがきにかえて」と題して次のようなことを書いた。これをもって今回の詩集の「後記」とする。

「県人口3万2千人減」という見出しの付いた高知新聞の夕刊(10.12.16)を読む。
「県は6日、10月1日現在で実施した5年に1度の国勢調査結果の概要(速報)を公表した。県人口は、死亡数が出生数を上回る人口自然減に転じた1990年調査から5回連続で減少して8万4281人」。
 予測を超えるスピードで進行する人口の減少は、県や市町村に衝撃を与えている。10年後の調査では2万人を割る恐れが出てきた。20年後、30年後はどうなっているか。
 ところで、私は09年に『のうがええ電車 続・土佐方言の語彙をめぐって』という詩集を出した。そして、この詩集を踏まえて昨年の5月、「高知詩の会」の春の大会(高知市)で、「共通語の詩から土佐方言についての詩へ」と題して講演のようなことをさせてもらった。そのとき用意した資料の一つに「世界の言語9割消滅も今世紀内話し手減り」等の見出しを付した高知新聞(01.7.11)のコピーがあり、そこには次のような一節があった。
「国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、言語が次世代に受け継がれるには、少なくとも十万人の話し手が必要だ、としている」。
 講演等も終り、おきゃく(懇親会)の席上、同人詩誌「ONL(おんる)」を発行している四万十市山本倫さんの小スピーチがあった。それは幡多(はた)方言を使う人口はすでに十万人を切っているので、自分たちの言葉の行く末はどうなってゆくのか、という母語の未来を憂えるスピーチであった。
 土佐方言は、高知市を中心とした高知方言と、四万十市を中心とした幡多方言とに分かれている。その幡多方言が衰退し、消滅するような事態を迎えるときは、高知方言にもまた危機が迫っていることになるだろう。
 ここで、高知県のみならず、日本全体の方言の未来について研究者の報告を聞いてみよう。
「東京外語大の井上史雄教授(五七)は最近、方言の消滅時期を計算してみた。『共通語に統一されるのは約百五十年後』という結果が出た」。
 これは20世紀末(2000年)の朝日新聞大阪本社版の、「検証進む共通語化各地に危機感方言守れ運動広がる」という記事からの抜粋である。なお、朝日新聞高知支局からいただいた「ATOMサーチ|掲載記事検索本文」によれば、東京本社版では「方言は生き残れるか近づく共通語『天下統一」(検証)」となっている。
 共通語による天下統一。ここで思い出されるのは「兆」の夏の合宿」でテキストにした、水村美苗日本語が亡びるとき英語の世紀の中で』(筑摩書房・08年)という本である。
 この刺激的なタイトルをもつ一冊については、「兆」148号の「後記にかえて」(林嗣夫)に適切な紹介と読後感があるので言及はひかえる。かわりに、この本で「小林秀雄賞」を受賞したときの著者の言葉を引いておこう。以下のとおりである。「私たちの国語がどういう危ない道をたどって成立したかを知ることによってのみ、日本語が亡びるのを一日でも遅らせたいと思うようになる」。
 方言は共通語の世紀の中で亡びてゆくのか、そして、共通語は英語の世紀の中で亡びてゆくのか。いささか問題が大きくなった。私は今、連作「土佐の言葉その語彙をめぐって」を書き継いでいる。これを進めてゆく中で、方言の未来、共通語の未来について、私なりに読むべき本は読んで考えてゆかなくては、と思っている。最後に、「中四国詩人会」の第11回大会のことに触れておこう。この大会は今年の10月1日(土)に、四万十市の「新ロイヤルホテル四万十」で開かれる。プログラムには幡多方言による自作詩朗読もあると聞いている。山本倫さんの「母語の未来を憂える」スピーチを思い出し、幡多方言の詩に耳を傾けたい。
(「後記」より)

 

目次

  • じるたんぽ
  • しつをうつ
  • たれもつれる
  • りゅうきゅう
  • ふけりあめ
  • ばっさり
  • はちきん
  • いごっそう
  • もがる
  • ちょく
  • ひめひめ
  • のからのから
  • はがいたらしい
  • つむ
  • へんしも
  • しり
  • 名なし
  • ひだるい
  • よさこい
  • へチ

後記


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