津田治子歌集 津田治子

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 1960年1月、白玉書房から刊行された津田治子(1912~1963)の第1歌集。昭和4(1929)年、18歳でハンセン氏病に罹患。

 

 明治四十五年春に佐賀縣松浦郡に生れた私は、父母の離郷とともに幼にして、福岡縣飯塚に於て成長いたしましたが、十八歲の春病にかかり、すでに母は亡く父の不肖の子としての五年間は、世に隱れ人におそれた月日を經てゐましたが、たまたま導き下さる人ありて基督の信仰に入り、熊本の回春病院に入院することとなり、ライト女史を教母として受洗し、日々を信仰に生きることを希ひながらも、心におこる憂悶は肉親の愛を追つてやまず、その頃アララギ會員として作歌にいそしんでゐられた田中光雄氏に、作歌をすすめられて、昭和十一年頃より作りはじめました。そして、檜の影や龍燈等に出詠し、昭和十三年一月よりアララギに入會いたしまして、土屋文明先生の選をうけて今日に至りました。また檜の影にて昭和二十二年より五味保義先生の選を併せてうけました。
 この集は、アララギ入會以降の全作品のうちより、伊藤保氏の助力を得て七百十七首を選びました。また歌稿の浄書には坂口辰男・吉村章子氏の手を煩はし、いよいよ發行に當つては、白玉書房主人鎌田敬止氏の並々ならぬ御厚意を受けましたことを厚く感謝申上げます。
 また五味保義先生には、色々御指導いただきありがたい極みでございますが、ことにこの集を御高閲いただき、序文をもいただくことができましたのは、この集の貧しさに望外のおとりはからひにて、こころよりお禮を申上げます。
 年とともに日月とともに淡(うす)れゆく視力の中から、わたくしの身邊を詠み、肉親のきづなのもろさに聲をあげて一時を一瞬を堪へてまゐりました。けふより過去をかへりみては、父を呼びし歌のいくつかに心をひかれるものがあります。癩をやむ者としての人生もまた詠みゆくべき態度かとも思ひますが、それよりもわたくしの作歌の心がまへとしては、「一個の人間」としての意味の方がより強く心を占めて居り、一首々々がわたくしの眞意、愛憎を抱いた赤裸のこるでありたいと思って居ります。
(「あとがき」より)

 
目次

序(五味保義)

  • 昭和十三年(二十七首)
  • 昭和十四年(三十首)
  • 昭和十五年(三十首)
  • 昭和十六年(十三首)
  • 昭和十七年(三十二首)
  • 昭和十八年(十七首)
  • 昭和十九年(十六首)
  • 昭和二十年(二首)
  • 昭和二十一年(二十六首)
  • 昭和二十二年(八首)
  • 昭和二十三年(十四首)
  • 昭和二十四年(二十七首)
  • 昭和二十五年(百二十七首)
  • 昭和二十六年(百七十七首)
  • 昭和二十七年(百二十首)
  • 昭和二十八年(五十一首)

あとがき

 

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