1981年10月、牧羊社から刊行された岡野弘彦の随筆集。装幀は倉持章。
いく年の春に心をつくしきぬあはれとおもへみ吉野の花 藤原俊成
「花幾年(はないくとせ)」という言葉は、折口信夫の随筆の題名である。師の柳田國男へのこまやかに はとどき難い思いと、戦死した養子への切ない思いとを複雑に交錯させて、戦後の釈溜空がその随筆を書くそばに私は居た。居ただけではなく、文章の第一稿は、逗空のロ述するのを私が筆記したのだった。
その文章に「花幾年」という題をつけた心の奥には、おそらく俊成の歌があったにちがいない。そして「あはれとおもへ」とうったえる迢空の心は、俊成よりもずっとさし迫って不幸な思いであったはずだ。
しかし、ようやく二十代に入ったばかりの私に、迢空の心の深いあわれのどれほどがわかっていたろうか。人間のあわれも、自然のあわれも知ること乏しい戦後の若者をそばに置いて、さぞじれったい思いをしながら、あの人は日々の怒りをこらえていたのだろうと思う。
「花幾年」という言葉の美しさだけは、その頃から私の心を離れることはなかった。いつか、それに近い魅力ある言葉を、自分で工夫してみたいと思っていた。「花童子」 などはその工夫の結果だけれど、とてもおよびがたい。
この随筆集には、先生の言葉を題名にもらうことにした。 前の二十三篇は、昭和五十三年の春から二年間、「俳句とエッセイ」に連載したもの。 それにつづく小篇は、昭和四十八年に創刊した短歌誌「人」の「後記」として書いたもの である。
(「あとがき」より)
目次
- 紫華鬘
- ふしぐろせんのう
- つばな
- うどんげの花
- 野ぼたん
- ささゆり
- 夢の中の花
- 百日紅の下で
- 花童子
- 花の山 花の寺
- 不幸な花つくり
- 去年(こぞ)の桜
- 花のマラソン
- 秋山われは
- 文鳥と月見草
- 潮の香とはまごうの花
- 花すすきと鈴虫
- 山茶花の庭
- 古典を歩く
- 桜と菜の花
- 曽我物語の梅
- 花と土の神話
- 谷戸の夕闇から
- 歳どしの花
- 歯抜け地蔵
- 花ぐるい
- 京丸ぼたん
- いぬびわ
- 夏の わかれ
- 賽銭箱
- 幼い心おどり
- 伊良湖崎
- 花のかおり
- 夜の色
- 死にせれば……
- 虹の橋
- こぶしの花
- 桜と梅と
- 雲の上の家
- 山上他界
- 感覚の自信
- 豆まかぬ家
- 座敷わらし
- 墓地の桜
- 阿修羅の脚
- 真贋
- 父の座
- 伝播と偶発
- 後鳥羽院の手型
- 竜飛岬
- ひめゆずりは
- 村に入る道
- お百度
- 研ぐ
- さまよう蝶
- 奈良のいちじく
- 村への道
- 魂の鳥
- 鳥のあわれ
- 長等の山風
- やすらえ花
- 柿の命
- 乙女の力
- 海人部(あま)の歌
- 津軽の海
- 鶴
- 山室山の桜
- 隣の弁当
あとがき