カナリヤは、うしろの山へ捨てましょか 一色真理

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 1987年7月、NOVA出版から刊行された一色真理の自伝小説。装幀は荒木海踏。

 

 本書は同人誌『舟』に連載した「ニヒリストの光芒――谷口利男私記」と、NOVA出版刊の雑誌『そんざい』に連載した「痛みの中で詩が試される」をベースに、新たに数章を書き加えて成立したものである。これらの一連の評論とも小説とも自伝ともつかない散文による構造物によって私がもくろんだのは、六〇年代全共闘運動が私たちの世代に対して刻印した体験の意味を詩的言語によって再度問い直してみることだった。詩的言語でとあえてここで言うのは、それが評論でも小説でもなく、どちらかといえば半自伝に近い私の一人称で語ってみたかった事情を指している。その時代を駆け抜けた私たちのアドレッセンスを言葉に移し変えようとするとき、三人称による冷徹な評論言語で語ることによっては、どうしようもなく脱落していく感情のリアリティとでもいうべきものに、私はあくまでも固執してみたかったからだ。とりわけ、本書が全共闘運動に積極的にかかわり、そしてその運動の中で生き生きと詩的言語を開花させ、運動の敗退とともに沈黙を余儀なくさせられた一群の詩人たちの生きざまを対象としているだけに、そう思われた。現在、これらの全共闘詩人たちの作品は、時代の転換とともに忘れ去られようとしている。それは、彼等が運動の退潮とともに沈黙を選ぶことによって、彼等自身の表現に落とし前をつけてしまったからでもあるが、彼等の表現の核心にあったリアリティそのものが当時の時代と向き合ったときの感情のリアリティを抜きにしては、容易に追体験しにくいという事情にもよっている。私の表現の始原を共に生きた彼等の六○年代と七〇年代とを、できるだけ彼等の感情のリアリティに寄り添うようにして、描いてみたい。それによって、初めて彼等の沈黙、あるいは失語の意味も理解できるようになるのではないか。そして、いわゆる〈修辞的現在〉以後の現在の詩と言葉をめぐる状況の背後に貼り付いている、見えない沈黙あるいは失語の意味も見えてくるのではないだろうか、と私には思われた。 なぜ、彼等は沈黙を選ばねばならなかったのか。また、時代はなぜ、彼等を〈歌を忘れたカナリヤ〉としてやすやすと忘却の裏山へ捨て去って顧みなかったのか。……沈黙によってしかついに答ええないことがらがある。歌わないことによって、歌える歌もある。私たちの世代において最も雄弁だったのは誰なのか。この物語を書き進めながら、私はひたすらそのことを考えていた。もちろん、その答は既に本書に明らかであるから、ここで改めて言うまでもない。 本書では、やや煩雑と思われるほどに大阪市立大学闘争の史的データを随所に書き込んだ。一つには、それが谷口利男のテクストを読み解くのに必要不可欠と思われたからだが、同時に、時計塔「仰げば尊し」闘争に向けて収れんしていく運動そのものの中に、詩的言語で語られた以上に雄弁な私たちの世代の表現がこめられていたと、考えたからである。その表現の当否を現在の批評言語によってあげつらうことは簡単だが、私はその道をとらなかった。それでは、余りにも失われる感情のリアリティの犠牲が多過ぎたからだ。 なお、本書は詩に関心を持つ人々だけではなく、全共闘の時代とその中で生きた世代に関心を持つ人々に幅広く読んでもらえることを、作者として希望している。この物語の主人公は詩人ではなく、全共闘世代と呼ばれる私たちの世代そのもののはずだからである。 執筆にあたっては、数多くの人々から直接間接に多大の援助を受けた。とりわけ、谷口利男の死後、献身的に関係者の間を駆け回り、遺稿と資料の収集に取り組んだ安田有氏の存在がなければ、本書は成立することができなかっただろう。谷口の伝記的事実の内、澤雄一郎、谷口勝代、福場実、八木孝昌の各氏にかかわる部分は、すべて安田有氏の資料に基づいている。そのほかにも、谷口の幼年時代等、安田氏の資料を活用させていただいた個所は数多い。あわせて、私個人からの問合せに対して貴重なご教示をいただいた京陽出美、衣更看信、菅谷規矩雄、藤井貞和、村岡空、生野幸吉、河野良記、十村耿の各氏、また『大阪市大新聞』のバックナンバーを揃えて下さった横尾行文氏、当時の新聞記事を図書館の縮刷版やマイクロフィルムの山の中から収集するのに尽力していただいた池澤晴美氏、さらにここに実名のまま登場する多くの友人たちにも、改めて厚くお礼申し上げたい。(「あとがき」より)

目次

  • I 色褪せた写真
  • II 一九四六 名古屋
  • III  飛べない飛行士
  • IV  名前
  • V  一九四七―一九六四 香川
  • VI  一九六五 東京―大阪
  • VII  一九六六 大阪
  • VIII  一九六六 東京
  • IX  一九六七 大阪
  • X  一九六七―八 大阪
  • XI  一九六八 東京
  • XII  一九六八 東京―大阪
  • XIII  一九六八 東京
  • XIV  一九六八―九 大阪
  • XV 一九六八―九 青森―東京
  • XVI 一九六九 東京
  • XVII 一九六八―九 大阪
  • XVIII 一九六九 大阪
  • XIX 一九六九 名古屋―東京
  • XX 一九六九 大阪
  • XXI 一九六九 名古屋―東京
  • XXII 一九七〇 東京
  • XXIII 一九七一―八 東京―大阪―名古屋―香川
  • XXIV 一九七八 香川
  • XXV 一九七九 香川
  • XXVI 終章

あとがき

 

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