暁の前に 藤川正夫の詩 今道友信

f:id:bookface:20191122102439j:plainf:id:bookface:20191122102442j:plain

 2002年4月、私家版として刊行された今道友信(1922~2012)による藤川正夫(1922~1945)に関する評伝・評論。

 

 この書物は藤川正夫というひとりのたぐい稀な詩人の作品について私の試みた解釈の記録である。この詩人はまだ一部の人びとを除いてはあまり知られていない。そういう場合、普通ならばここでいくつかの事実をのべて、その人の紹介から筆を起こすものかと思うが、そのことは続く本文の中で少しずつおこなわれてくるので、はしがきでは何も言及しないことにする。本書の目的もこの詩人がどういう人であるかを告げようというところにはなく、その人の作品を読み味わうこと、すなわちここに取りあげられたそれぞれの作品の指向する方位と高度を読者とともに学びたい、というところにある。そのプロセスにおいて、すなわちその詩が展いていく世界において、立ち現われてくる影こそがこの詩人の姿なのである。それらの影はもとより大事にしなければなるまいが、もっと大事なことは、彼が望み、そして私も望むこと、すなわちその詩が少しでも今よりは多くの人びとに読まれ、その美しさと真実とにおいて愛されていくことなのである。
 それゆえ、本書においても私の詩学的分析や美学的解釈を学ぶのではなく、それらを介して何らかの手がかりを見つけ、願わくはこれらの詩が展く世界の中で、この詩人との対話を深い沈黙のうちに経験されたい。そこには卓れた芸術のみがわれわれのひとりひとりに開示するところのものが輝き出るはずである。
 ところで、本書の成り立ちの経緯についてだけはいくつかの事実をのべておきたい。本書の原稿は私がもう十五、六年も続けている朝日カルチュア・センターにおける「私のアンソロジー」という講義の毎回のカセット版――観想社発行――から、藤川正夫の詩に関する部分を文章に起こした厖大な原稿なのであるが、この文字化の日事は故鈴木銀治郎氏が前半を、そして後半は井上三枝子氏が担当された。お二人とも私は面識がないけれども、その労に深く感謝するものである。しかし、右のままの文章では私の講義のしまりのない口調が残るし、私の思いこみによるさまざまの誤解や誤謬があるかもしれない。全草稿の徹底的な見直しが必要であった。それを私が時をかけてなすべきであると思いつつなしえないでいるのを見かねたというのか、それとも私のひそかな願望が天に通じたとでもいうのか、いや天まではとどかなかったにしてもあてにしていた人にはとどいたとでもいうのか、かつて今からまさに十五年前、藤川正夫の詩集を編むときの大黒柱であった人、彼の中学時代からの親友、国文学者として令名の高い松崎仁教授が、右の大部の原稿に朱を入れて下さることになり、冗長な言い廻しや不当な表現をさけ、事実のあやまりを正し、言わば贅肉を剥ぎ落として読むに耐える文に仕立てるとともに、私の考え以外のことは露もまじえるところがなかった。この労多くして目立たぬ仕事をただその友である詩人のためにこれほども見事になさってくださったことにつき、本書の刊行を心から望んでいながら、完成原稿への道行きで立ち悩んでいた私としては、松崎さん――この教授は高等学校では私の先輩にあたり、ふしぎなめぐり合わせで知り合いでもあったから、ここからは普段のように松崎さんと書くことにする――にどれほど感謝しても感謝し足りぬ思いである。もの書く者の業というものもあって、その朱入りの原稿にこっそりと二、三の挿入を加えたところもあるにせよ、本書はこうして成立したのである以上、松崎さんとの共著に近いと言わなければならないのである。不精者で仕事のおそい私が、もし松崎さんの協力を仰ぎえなかった、とすれば、原稿は今をに鎖されていたことであろう。
 また、本書刊行の具体化の経路はすべて岩波出版サービスセンターの寺島三夫氏の誠実な実行力によるものであり、校正はもとよりのこと、実は書物の構成までも立案をお願いした。というのは、原稿では藤川正夫の詩が他の詩人との関係で語られる場合もあり、それは純粋に藤川正夫の詩をテーマにして語るときとの微妙なニュアンスの差異を示すのであるが、その辺のバランスを心得た編集など私にはとてもかなわぬ仕事だったからである。著者というには私の影はますます薄らぐのであるが、それだけ多くの感謝を私は同氏に捧げる次第である。
 更にまた、こういう方たちのさまざまの努力を可能ならしめた資料となるカセットを、私の朝日カルチュア・センターの哲学や倫理学の講義すべてとともに、詩についての美学的講義「私のアンソロジー」についても作成し続けている観想社社長近藤勉氏の十数年にわたる好意にも感謝を新たにしなくてはならない。こういう学問的なカセットは労の多い割に利潤の乏しい仕事のようであるが、これはもともと勤務の都合があったり、特に病床にあって朝日カルチュア・センターの私の時間に出席できない知識人やまた点字の本が少ないため不便を感じる盲人の大学生の参考資料として作成しようということで週刊カセット社社長龍池仁氏と相談の上始まったことであり、観想社が継承したものである。近藤社長自らの録音によるカセット商品がなかったら、私の藤川詩の解釈も三十名前後の聴講者たちの心にとどまったのみであろう。それも充分ありがたいことなのであるが、それでは一代かぎりであろう。それだけよりは書物となって次ぎの世代にも残りうるとすれば、詩人の思いは生き継ぐのである。そう思うと、科学技術時代の利器を活用して、無意識的にではあったにせよ、本書の原資料の作成者となった同氏の貢献は極めて大きい。
 最後にこの書物の原動力となった存在は一冊の書物と一人の人物である。一冊の書物とは藤川正夫の『詩集』であり、それを一九八六年に詩人の姉上にあたる藤川千代子氏が自費で出版したのであるが、この度も本書刊行の原動力となった一人の人物とはほかならぬその人のことである。この人のしとやかではあるが凛とした気品がこの詩人の作品の埋もれそうだった社会の中でひたむきな姉弟愛を介して、『詩集』の出版を果たしたのであった。彼女は私の詩の講義で『詩集』の詩の解釈を聴き、それが件の『詩集』理解の手引きになると判断し、本書の出版を思い立ち、その計画が私にもたらされた。それは私の喜びであった。それ以後の経過はすでに述べられた通りである。
 朝日カルチュア・センターにおける私の講義がこの女性に聴かれなかったならば本書はなかったであろう。そう思うと、まだ私も幼かった日に水で濡らすと綺麗になる小石を交換したことのあるこの詩人との因縁を神の不思議と手を合わさざるをえない。本書は私の著書であるが、私には多くの因縁を結び合わせた神の私への贈物のような気がする。買って下さった読者にも本書との出会いが、神とか仏とか運命というような何か超越的な存在からの恵みのようなものに映るのであれば、この詩人のために私はうれしい。そのときはどうかその中の詩の思い出を心に抱きつづけていただきたい、藤川正夫の名をそえて。
(「はしがき」より)

 
目次

  • はしがき
  • あとがきに代えて

 

NDLで検索
Amazonで検索
日本の古本屋で検索
ヤフオクで検索