2004年10月、紫陽社から刊行された山田清吉(1929~)の第6詩集。装幀は板垣光弘。
百姓仕事を定年退職してからチベットのカイラス山やインドを旅し、帰っては彫塑と木彫を習い始めた。木彫と詩作は似ている。木彫は一本の木材をけずり、掘りくずして己れの想う像形を掘り出す。詩は己れの感じた物を言葉で表現し、その言葉を如何にけずるかにあるのです。けずり過ぎて抽象過多になっては何を云っているのか解からん、また具象過ぎては詩にはならない。
私は百姓です。百姓仕事で経験した昔の百姓の肉体労働や苦しみや、村の掟の中でただ働きに働いた親たちのことを詩に書くことで、あの頃の親の姿、形を想い求めた。詩を書き始めて五十年のいま、やっと百姓のかたちが見えるようになった。肉体労働から解放されて、いままで漠然としか観てこなかった部分の奥の深さが観え、詩を創る楽しみも増した。
福井県の越前海岸にそそり立つ海抜五、六百メートルの山並がつづく襞の中の谷間には山村も多い。旧丹生郡殿下村のあちこちの山の斜面にある、だんだんたんぽ。昔ふと美しいと想った情感を、いまも訪ねる。いまはずいぶんと廃れたがこの谷の人の話を聴く。彼らの足腰のつよいこと、手先の器用さ。養蚕や炭焼、山の植林から大木の切り出し。それこそ里の百姓の強靱さとは競べものにならないぐらい強い。その強さが、あの斜面を開拓し、だんだんたんぼを作りつづけているのでした。こうして里の百姓である私が日本のあちこちにある山村の百姓も含めてこの詩集を組んだ。
私の師であった詩人広部英一さんが今年五月四日に逝かれた。昨年広部さんにもう一冊詩集を出しなさい、是非といわれて励ましてもらった。そうした皆さんのお蔭でここまで来れた。ありがたいことです。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- あのとき
- エンピツの音
- 誉れの家
- ちょっと待て
- 八月十五日
- 脂汗
- 人間である事が嫌になる今日此の頃
Ⅱ
- じゃがいも
- 雨の中の稲刈り
- おばばどうし
- 藁葬
- 慶事
- 生死
- あっちのくに
- 湯灌
- 友
- 足踏脱穀機
- ねーぃちゃん
- 永眠という安堵
- 五分の魂
- 己の極楽
- 落ちた青い空
- ぐうだら
- ひとり
- 百姓の手
- だんだんたんぼ①
- だんだんたんぼ②
Ⅲ
- 死者の詞
あとがき