夕凪の街と人と 大田洋子

f:id:bookface:20200727042550j:plain

 1978年7月、三一書房から復刊された大田洋子(1906~1963)の長編小説。カバーはレオナルド・ダ・ビンチ習作12513。

 

 広島市は早くから、原爆の傷あと、”原爆スラム”旧輜重隊跡の戦災者住宅をとりこわし、基町再開発に着手しておりました。この基町一帯は、中央公園として整備され、バラックが密集していた”相生通り”の川土手には青草が生え、豊かな水が一望のもとに見られます。
 この地は大田洋子の『夕凪の街と人と』の舞台となったところです。大田洋子は一九五三年の八月の終り、妹さんの中川一枝さんの戦災者住宅を訪れ、崩壊の街を取材します。そして資しい被爆者や戦災者、朝鮮人など、政治からも社会からも見棄てられた救いのない底辺の人々の生きざまを、まるごと描きました。
 と同時に反動化の暗い時代の中で、被爆者の実態調査をする学生たちや、被爆者検診、原爆訴訟など、動き始めた被爆者運動に希望を託しております。この作品は大田洋子の「反原爆」へのもっとも昂揚された作品と言えましょう。
 中央公園が整備されたいま、かつてのこの街の人々の生きざまはこの『夕凪の街と人と』の作品のなかでしかうかがえません。「屍の街』が被爆直後の実相を書いてすぐれた記録であるように、『夕凪の街と人と』はその後の後遺を地域ぐるみ全体的にとらえた異色の作品です。
 私どもは昨秋、東京、長崎をはじめ全国の知人同志とともに大田洋子文学碑建立委員会をつくり、ゆかりの地、中央公園に核時代の道標として文学碑を建立すべく募金を呼びかけました。募金は全国の平和を愛し、大田洋子の文学を支持する方々の熱い賛意によって、目標額、三百万円を突破し、九百余名の御芳志を得、三百五十万円に及びました。
 大田洋子の作品は殆んど絶版になっており入手が困難です。募金活動のなかで、多くの人々が閲読の機会を得たいと渇望されていることを知りました。七月の除幕の日を前にして、急遽、『夕凪の街と人と』の覆刻刊行に踏みきった次第であります。『夕凪の街と人と』は一九五五年十月に講談社から「ミリオン・ブックス」の一冊として出版され、以後絶版になったままでした。今回、講談社の御了承を得、三一書房の竹村一氏の御厚意により刊行出来ますことを心から感謝いたします。
 今回の企てが呼び水となって埋れた作品が次々と掘り出され、核時代の文学として、ひろく再評価されることをねがってやみません。
(「再刊によせて/刊行委員会)

 

 

 この解説を響くために「夕凪の街と人と」をもいちど読んだ。苦しい涙のこぼれてくるのを強いて私は押えた。涙というものは、感傷という言葉で解されがちである。だからこの解説の書き出しに、涙を持ち出すことは、この作品の評価にあたつて、冷静ではないと受けとられかねない。
 大田さんもあるいはまた、涙などの持ち出されることを迷惑におもうかもしれない。この作品の全篇を貫いて作者は、涙に負けまいとしているからである。原子爆弾放射能、という強力な科学力に対して、全身で構えている。この強力な科学力に負けないために、大田さんは執ような調査に土台をおこうとしてい、そして、原子爆弾によって引き起された人間の悲劇を、むしろ冷静な描写にとどめようとしている。いわばそれしかない、劇的なものは、夕凪のこの街にはありふれていたからでもあるが、作者はその押えた態度を持続しながら、その冷静さによって、もっとも高度に人間の善意の怒りを表現しようとしている。原子爆弾放射能という強力な科学力に負けないために、冷静な事実と、その中に貫く人間の愛の怒りを対置して、たたかいをいどんでいる。原爆症の患者を診察する都山博士の、優しい、おだやかな、そして適切すみやかな診断は、この書の精神をあらわしているものともおもう。
 大田さんのこのような冷静ないどみ方は、しかし作中の篤子を通じて、篤子自身の現実的な状態によって作品全体を熱っぽいものにしている。従って、その冷静さそのものが迫力となる。米国を訴えようとしているその問題を聞くために木林弁護士の宅を訪れ、篤子は自分がこういう場所に来ること、そのことも自分の神経症が一途にここまで自分をよこしたのではないか、とはなれた場所から見直したりする。篤子自身の、文学のためだけではない、しかも篤子の神経症の原因も、この問題から離れられないためなのだと知っていても、敢えてそれをやらずにいられない、そしてそのことを人に言われたときの同感、それらの感動が、この作中を貫いて、冷静な調査、むしろ何でもくわしく書いてだからという態度に実感を与えるものになっている。
 土手や基町に追われながら住んでいる人々は、自身の劇的なことをむしろ表現しない。篤子はわざとのようにその人々に、上から立ち向かっている。その中に一緒に這いつくばったら負けだからである。広島にはびこる悪をさえ指摘し、大田さんはそれらを引っさげて、人間に、世界に提訴している。この書はアメリカに対する損害賠償の提訴について、情熱的に研究している楠山弁護士と逢うことで結ばれているが、この書自体が、人間の悲劇を通して、原子兵器の罪悪を世界に提訴する書にちがいない。この作品が「小説として云々」という批評も若干聞いたが、小説とは何だろう。人類にもたらされたこの事実のあまりに激しい現実性のために、作者は小説の組立てをむしろ意図しなかった。「文学のためだけに」自身の命さえかけているのではなかったからだ。ここに書かれた記録は、記録されたその事実が、かつてなかったことであり、人類の破壊という問題に根ざしているのである。だから作者は自らも働きながら、その号泣を極度に押えているのだ。しかも篤子は目をいかし、吐く。その感動のもたらすもの、人間に対し、人間の訴えているもの、それはあくまで文学というものなのだとおもう。原子兵器の罪悪に、人間の悲しみと怒りと、そして愛の喜びをもってたちむかい、読者をゆさぶるもの、それは今日の文学の使命を、従って永遠に果したものであろう。
 大田さんの前作「半人間」はひとりの人間の記録として、芸術的にも完成されたものであり、この「夕凪の街と人と」は、その街へひろがって描かれた記録として、同じ高さを保つものである。この書の持っている性格、つまり世界への提訴としての価値のために、この書が日本だけでなく、世界にも読者の拡がることをねがう。
(「解説/佐多稲子」より)

 
目次

  • 夕凪の街と人と
  • 解説 佐多稲子
  • 再刊によせて 刊行委員会

 

NDLで検索
Amazonで検索
日本の古本屋で検索
ヤフオクで検索