1968年3月、地球社から発行された犬塚堯(1924.2.16~1999.1.11)の第一詩集。第19回H氏賞受賞。装幀は司修。「地球」「歴程」同人。
南極のゆきかえりに、がり版ワラ半紙「南極新聞」というのが発行されていた。僕は特派員だったので内地の新聞に報道する義務があったが、南極新聞にも毎日、社説風のコラムと、詩を一篇書く義務を押しつけられていた。ニュースや雑報、人事、ゴシップなどで埋められた原紙にコラムと詩の余白があり、そこに鉄筆で書き込むので、ほとんどが即興で、それだけに楽しかった。
眩しい夏の深夜、みどり色に変る秋の太陽、その他ブリザード、ペンギン、あざらし、橇犬など、手当り次第に素材とし、ときには隊員を一人ずつ諧謔的にうたったりした。
日本に帰って半年ほどして、友人がその中から十篇「日本未来派」に発表した。隊員のために書いた詩なので、もう役割りを終っており、僕は発表など考えてはいなかった。詩集にする気持もなかった。親しい友人たちから詩集にまとめるようにすすめられながら、長い月日が過ぎた。ところが、南極で僕が書いた日記(約二千枚ほどのもので、その中に詩も集められていた)を学生時代の友だちが回し読みしているうちに紛失してしまった。そうしたことから、手許に残っているいくつかや、記憶にあるものをまとめて置く気持になったのである。
基地で遭難した福島くんの詩は内地で書いた。アフリカや東南アジアでの詩は航路の途中なので詩集に加えた。
なくなった日記は暴風圏の中でも書き続けたもので、僕にとっては記念なのだが、恐らく出てはこないだろう。(「あとがき」)より
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