水勢 金子光晴詩集

f:id:bookface:20170818001928j:plainf:id:bookface:20170818001942j:plain

 1956年5月、東京創元社から刊行された金子光晴(1895~1975)の第12詩集。長篇抒情詩。装幀は赤穴宏(1922~2009)、挿画は芹澤晋吾(1928~1978)。

 

 この詩を書き終つてみると、この詩が發端で、書こうとすることはこれからといふ感慨がふかい。そこで、三部作の計劃を立ててみた。一つは、僕ら日本人の来歴書であり、一つは、所詮僕らの肉體のとけゆく地を、風とともにさまよつてゐる解放の精神との關係について述べたいと考えてゐたことである。實際にその二册の詩集の稿を起すのは、じぶんの能力や時間をかへりみて、困難なことかもしれないと思ってゐる。またこれからのながいあひだに、食指がうごかなくなるかもしれない。しかし、この詩が生きるためには、あとの二册がつつかへとして必要なのだ。この詩は、僕の遍歴なのだ。しかも、要なき努力の遍歴で、世界を亡ぼす水の音、勿論、僕の自我も泥にかへすための下心をきくために他ならない。
 人間は、苦役してみることだ。なにかに騙されて出發したのだとしても、あるきだすことで、風景はかはつてゆくのだ。この詩は、穿鑿するために、たしかめるために書かれたのではなく、流されてゆくものが足がかりをさがさうとして書かれたものだ。そして遂になにの足がかりもなかつたのだ。この詩をよむことは、人生の徒勞のなかの、とりわけ徒勞なことの一つだ。なにも書かれてないとひとしいからだ。僕がなまけものだつた結果として、こんな始末書を書く破目になつた。六十歳で、小學生と一緒に、一年生の教科書をひらいて勉強をはじめてゐるのだ。なにかをおぼえかけたときに、僕は死ななければならないことになるだろう。あとの二册の詩集がかければ、組立てた三つの銃のやうに、一つの場ができてくるかもしれない。(「跋」より)

 

NDLで検索
Amazonで検索
日本の古本屋で検索
ヤフオクで検索