1979年1月、泰樹社から刊行された坂本稔(1929~)の詩的自伝。
私も土佐に生まれ、そこに育ったが、いつか書いたように、幼い日の自分の目で見た風景を、追憶のなかで折ふし解読することだけが、故郷とのわずかなかかわりとして残っている。私も時あって土佐を訪れるが、年経るにつれて、見知らぬ土地となっていく姿を、故郷と言おうとして口ごもることが多いのである。これらは、ひと度故郷ばなれを経験した者でなければ、故郷とよべるような何ものも、私たちの胸によみがえってくることはないという、近代の法則の意味を、あらためて考えさせるのだ。
いままでずっと土佐で暮してきた人も、途中で他国に出てしまった者でも、ほぼ同じことであろう。生まれてはじめて見た自分の身のまわりの風景、仲間と名を呼びあってそこで遊んだ山川草木のたたずまいが、ただの”物”として急速に変貌していく時代にたちあってみれば、私たちは多かれすくなかれ、だれても故郷ばなれを強いられてしまうのだ。けれども、たいせつな問題は、そんな現象の方にあるのではないだろう。そのような、故郷の山川草木の風景の、”物”への急速な転落が、実はただならぬ精神的な事件であることを、わずかな人をのぞいては、ほんとうには気づいていないという点にあるのだ゜
詩人がたちあっているのは、うわべは風景の変貌のようにみえるときも、実はそれが含みもっている、ただならぬ精神的な事件の方なのであって、もしもそうでなければ詩人の文明形成力などは、ただの幻にすぎないのである。
坂本稔さんが、「梼原川」「仁淀川」「天狗高原」というような故郷三部作を書いていたとき、無意識に直面していたのは、私か右に述べたような危機感とはすこし異質だったような気もする。しかし、彼が風景を手探りしながら、孤独な”私”の内部のイメージをそこに解読することで、”物”に転落する風景と、自分との二つを同時にに救いあげていたことには、変わりはない。いまでは、孤独な”私”の内部を救おうとして、風景の沈默にむかっていく詩人の決意にふれる以外に、風景の方でも”物”から脱したその親しい眼ざしを、私たちにみひらく機会はないのである。
坂本稔さんの近代への自覚には、「世界のどこにも故郷をもたぬ、僕には世界が故郷である」とうたった、『虚無とロマン』の詩人長谷江児が、水先き案内の役割をしている。坂本さんが長谷江児を熱情的に語るのは、ついに風景がみえなくなって、故郷の位相を、そのような二律背反の観念のうちにとらえるほかなかった長谷江児の挫折が、他人ごとのように思えないからであろう。
(「未知の友への手紙/澤村光博」より)
目次
未知の友への手紙 澤村光博
- 詩と青春①
- 詩と青春②
- 詩と青春③
- 海辺の村
- 投稿時代
- 興津海岸①
- 興津海岸②
- みかえり峠
- 詩の栄光
- 喫茶店「エリーゼ」
- 詩集「鋼の花束」
- 恋のさだめ
- ガーベラ日記
- 今成河原
- 梼原川①
- 梼原川②
- 梼原川③
- 天狗高原
- 柏島①
- 柏島②
- コーヒーと夢
- 高原の町 窪川
- カトレアの詩
- 女らしさ
- 少女について
- 「ある女の手紙」
- 仁淀川
- 水の伝説
- 夏の手紙
- 音楽と休日
- 十月の空
- 秋の歌
- シリウスをめぐって
- 宇宙の眠り
- 芸術家たち
- 石のつぶやき
- 去来の章
- 今日と明日と
- 夜明け
解説 やさしき幻視者 牧川史朗
君の仕事に寄せて 吉本青司
あとがき