1977年11月、思潮社から刊行された鈴木志郎康(1935~)の評論集。装幀は若林奮(1936~2003)。
この本に収めた文章は、一九七五年の冬から今年の春までのほぼ二年間に書かれたものの中から選んだ。一つのきまった机の上で書かれた。だいたい同じ机の上で書かれる文章に、昨年からは、その冒頭にその日の日付けを入れるようにした。日付けをもって文章を書き始めてみると、書いているその場の自分のことを文章の中に書き込めるのであった。書いている自分と、書かれている対象との間を、往ったり来たりする文章になった。(「あとがき」より)
目次
- 尾形亀之助は自分自身のみに即して生きた人と見えた
- 啄木疎読の実感
- 空間を食べるという行為
- 金子光晴「洗面器」という詩のあたりの感想
- 谷川俊太郎「鳥羽」のあたり
- 坂口安吾の三つの小説を辿ってみる
- 夏目漱石の『明暗』を読んで、心理描写は危険だと感じる
- 清水哲男詩集『スピーチ・バルーン』再読の日録
- 日常の中で日常を考える二夜
- 体験的テレビ娯楽論
- 日記を書いているうちに、私の内部に街中でシャッターを押す動機がない、ということがわかった
- 富岡多恵子さんの詩の肉声の思想というところまで考える
- 清水哲男さんの詩に抒情の現在を考える
- 言葉で女を作るということ――古井由吉
- 一人作りの映画を考える
- 食うこと詩を書くことをめぐって、六つの夜――山之口貘
- 詩を書くときに音楽があった
- 啄木「食ふべき詩」を考えて二夜
- 『石原吉郎全詩集』を読んで頭の栓を抜かれた気持になる
- 大岡さんの詩に、官能から憑依に至った感性を思う
- 塀をめぐって三つの朝
- 机上で浮遊する
- 『雨になる朝』の詩をめぐって二週間――尾形亀之助
- 個人映画を弁証する三つの朝
あとがき