1952年12月、創元社から刊行された金子光晴(1895~1975)の長篇詩集。
僕は別に新しい本を書くつもりで、この本を書きだしたわけではない。
僕は、僕の指や、爪を、ほんとうに僕の指や爪なのか、たしかめてみたいつもりで書きだしただけで、おほかた平凡なことばかりだ。
僕は、じぶんのヒフと、どこまでもつづくそのヒフのつながりを――移住者やキリストのヒフまで遡って、ヒフをくぐる水泡についてひびわれについて観察したかったまでだ。
それは僕が今日まで生きてきた素材で造りあげた一つの土臺で、さらに生きつづけるためか、死のためかしらないが、ともかく今までとは別なもののための『用意』にほかならないのだ。
肉體は、それに條件を與へてゐる一遊星の悲劇を背負ったものだ。精紳にいたっては悲劇以上だ。
もし、これが、僕の自叙傳の序の幕だとしたら、必ずしも編年體によらず、僕の生涯を何べんでもやり直すことができる唯一の方法として、この後もこの方法を利用してゆくつもりだ。(終戦後三年間に書いたものをここにあつめた)
(「序」より)