2003年9月、編集工房ノアから刊行された桃谷容子(1947~2002)の遺稿詩集。装幀は森本良成。(日本現代詩人会の「現代詩人賞」「先達詩人」は桃谷の遺産の一部で運用されている)
大学時代、ギリシャ悲劇が好きだった。とりわけ苛酷な運命に抗って、果敢に闘ってきた、ソフォクレスの「オイディプス王」に魅かれてきた。彼は自ら望まずに父を殺し、母と交わる。すべてが白日の下に曝け出された時、彼は激しく絶望し、自らの両眼を自ら剣で抉り取る。これ以上苛酷な運命を見ない為に……。そんな彼の頭上で、ギリシャの空はあくまでも青く澄みわたっている――
何故あの頃、あれほどまでにこのギリシャ悲劇に魅かれたのか、最近になって私は理解できるようになった。それは私自身が、誕生する前から苛酷な運命に立ちあわされる星の下に置かれていたことを、無意識に感じていたからなのではなかったのかと。
人は自身の出生を自分で決めることはできない。人は父を選ぶことも、母を選ぶことも、兄や姉を選ぶこともできないのだ。私はクリスチャンホームで誕生(うま)れ、育てられてきた。
成人してから、幾度も苛酷な運命に出会う度に、神というものは本当に存在しているのだろうか、と考えてきた。あの「カラマーゾフ」のイヴァンのように。しかし最後まで絶望せず、かろうじて信仰を捨てず、懸命に生きてきて、四十代の終わりに至ってようやくこの詩集のタイトルポエムが誕生(うま)れたのは、やはり神の恩寵ではなかったかと、いま私は思っている。なによりも心身ともに虚弱だった私が、この年代まで生きることができ、このような境地に立って第三詩集を編むことができたことを、素直に神に感謝したいと思っている。(「あとがき」より)
桃谷容子の第三詩集『野火は神に向って燃える』は、一九九九年の秋にまとめられ、私はその原稿についての意見を求められた。そのとき私は、まだ書かれていない作品があると感じ、あと一、二年時間をかけることをすすめたのであった。こういう場合、きわめて素直で謙虚な彼女は、私のいう意を理解して即座に同意してくれたのであった。
結果として一部に収めた作品(Ⅱ部は当初計画された作品)が生れた。なかでも「暖(ぬる)いパン」「夜の果ての旅」「平城宮跡のトランペット」など、幾度読みかえしても、彼女以外に書けない傑作だと思う。
体内にすでに死を宿していた彼女は、二〇〇二年の二月に、それと気づかずに「夜の果ての旅」を書いていた。
〈夫の運転する銀色のポーランドフィアットは、ジークマリングンのこ月の極寒の街を走っていた〉で始まるこの作品は、対独協力者で亡命作家・セリーヌの足跡を辿る旅を描く。〈モーブ色の凍てた夕暮を背景に聳え立つ灰色の城塞。そのストイックで拒絶的な全貌を見ると戦慄が走った〉に至ると、私はこれが晩年の桃谷容子の自己認識であると同時に、体内に育ちつつあった死の影の本能的な認知であったという気がしてならない。
彼女はこの作品が死ぬ前の二作目になるとは露知らず、二十畳は優にある広い、天井の高い、石油ストーブが一つしかない寒々とした居間で、たった一人故知らぬ闇の力に促されながら書いたのである。
(「『野火は神に向って燃える』賛――そのパラドキシカルな文体 以倉紘平」より)
目次
I 平城宮跡のトランペット
Ⅱ 十一月
Ⅲ シトリ・レ・ミールの少年のように
- アルカディア
- シトリ・レ・ミールの少年のように
- アダムの二つの顔
- 若くして娘を喪った六人の母のうた
- カトヴィツツエ
- 考えるびんずい
Ⅳ 野火は神に向って燃える
あとがき
『野火は神に向って燃える』賛――そのパラドキシカルな文体 以倉紘平