三年前に私は大病にかかり、居間もなほその豫後がすつきりしないのだが、三年にわたる病中に、私の考へは大分變つてきた。そして、暗い青春時代に絶えず死と隣あはせて生きてゐたやうに、今また死と隣あはせながら辛うじて生きてゐるのだ、と強く感じてゐる。たいへんもろく出来てゐるらしい隣の壁は、いつ音立てて破れ落ちるかわからない。もう私は若くはないし、三年のあひだに衰弱したからだは、まるで老化してしまつたやうで、暗夜に眼をひらいてゐると、そこに大きく死の手がかぶさつてくるやうに見えるのである。
この意識と怖れとは、一方では自分自身の無能と焦燥感に、一方では現代への嫌悪につながつてゐるらしい。そして私自身のなかには、蟻地獄に落ちこんだ衰弱したニヒリストと、青い原つぱで一匹の蝶を追つかけてゐる孤獨な少年とが棲んでゐるやうだ。……或る日少年は、こんなことをつぶやくのである。
「死んでゆくときには、フォーレの《レクイエム》をききながら死んでゆけたなら……」
(「あとがき」より)
目次
- 鎭魂曲
- 湖畔
- 夜の庭
- インドネシアの空
- 木荳
あとがき