1996年10月、編集工房ノアから刊行された玉置保巳(1929~)の第5詩集。装画は早川司寿乃(1959~)。
定年退職をして、すべての雑用から解放されたら、この世を去るまでの、残り少ない日々を自分自身の楽しみのために使はねばと思ってゐた。
その一つは、何度も読みかけては抛棄してしまったマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を読む仕事だった。しかし、今度、久しぶりに読み返してみて、この書物が、どんな睡眠薬も及ばぬほどの力で、ぼくを眠りの国にひきずり込んでしまふことを、あらためて思ひ知らされた。それは、ぼくがこれまでに幾度も挑戦しては中断してしまったフランス語や微積分とは比べものにならぬ強力な睡眠作用を持ってゐた。
今、ぼくが眠らないで没頭出来るのは、宇宙物理に関する書物や博物学者の評伝を読むことと、各種の図鑑を眺めることくらゐである。植物図鑑、鉱物図鑑、魚類図鑑、昆虫図鑑、恐竜図鑑などなど、図鑑を眺めることは、じつに楽しいが、残念ながら、これらの図鑑は皆、重すぎて、ベッドの上で仰向いて眺めてゐるわけにはゆかない。沢山の図鑑の中で、ただ一つ、寝そべって仰向いて眺めることの出来る小ぶりの図鑑がある。それは、保育社の『原色日本海岸動物図鑑』である。この図鑑をひらくたび、ぼくはたちまち磯の潮だまりの中の不思議な生き物たちに見とれてゐた幼年時代のただ中に帰ってしまふ。花野のやうに群れるイソギンチャクたち、岩の割れ目にうごめくカメノテ、フジツボ、ヒザラ貝、ウニ、ナマコ、ヒトデたちはいふまでもないが、潮だまりの、おしゃれな住人であるアメフラシやウミウシたちの原色に輝くあで姿が図版の中に勢揃ひしてゐる。レイチェル・カーソンならずとも、かつてぼくを優しく抱いてくれた潮だまりの生き物たちの無事を祈らずにはゐられない。
詩集『海へ』を出してから、六年の歳月が流れた。今度の詩集は、作品をまとめてゐて気がついたことだが、自然の事物をテーマにしたものが意外と多い。そこで、それらを「ぼくの博物誌」として前半にまとめ、主として幼時の体験をテーマにしたものを「レクイエム」として後半においてみた・もちろん、前半と後半が歴然と異質であるといふわけではない。
詩集『海へ』のときと同様に、今度の詩集も、気鋭のイラストレーター、早川司寿乃さんにカバーと扉の絵を描いて頂いた。
(「あとがき」より)
目次
I ぼくの博物誌
Ⅱ レクイエム
- 帰郷
- 海のほとり
- リカオン
- 末っ子
- 二人の母
- ぽくのオルガン
- 聖母子像
- ある日の出来事
- ポケットの中
- 永訣
- 生のかがやき
- 死者たち
- アウシュヴィッツの星の上で
- スペインの牛
- 病院日記より
- 病後
- 夜半に
- 雪国の春
あとがき