幻想飛行 柴田忠夫詩集

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 1970年9月、思潮社から刊行された柴田忠夫(1918~)の第3詩集。制作は宮内洋

 

 私にとって詩を書くということは、かつてこの上なく楽しい仕事であった。私の詩は、甘美な抒情性と、ガラス細工のように繊弱な青春の光沢を持っていたようだ。ところが年が経つにしたがって、いくぶん誇張した表現がゆるされるならば、私は詩を書くことに嘔吐に似た苦しみをおぼえるようになった。なんともいえない暗い憂悶の底へ、ずるずると沈んでいった。たぶん、それは私の一種ファナティックな幻想世界と、世紀末文学への傾倒と、さまざまな外的生活からの投影が交錯して、私の詩と詩作行為に、何か暗い屈折した陰翳となってあらわれた結果ではないかと思う。
 しかし私は、詩それ自体が何であれ、詩を書く目的が何であれ、詩を書くことによってしか自己を解放し、陶酔させ、みずからを支えて行くことの出来ない因果な人間である。長い間、マスコミ関係のかなりハードな創造的な仕事をしながら、どうにか詩を書きつづけて来られたのもそのためである、と自分では信じている。一方、どんなに困難な、苦渋にみちた作業といえども、詩人が詩を書くのは所詮遊びであり、白昼夢であり、美の司祭にだらしなく跪く恥多い行為にすぎない、と思っているのもまた私である。
 この詩集は、私の三冊目の詩集になる。最初の詩集は十八才の時、後に「まぼろしの邪馬台国」を書いた盲目の篤学・宮崎康平さんにおだてられて、二人の共同詩集として出版(ボン書店)したもので、今手許には一冊もないし、もし保存していたとしても、いまさら残したい作品があろうはずもない。二番目の詩集は一九五〇年頃刊行した「瀬戸内海叙情」(風雪社)である。この第二詩集は、冒頭に書いたような、二十代の甘美な抒情詩時代の所産であり、今でも好きな作品がいくつかある。
 その意味で今回、かなり傾向の異なった新しい作品を中心に詩集を編むに際して、私は「瀬戸内海叙情」の中から約十篇の詩をえらび、自分の青春の碑として、あえてこれを収めることにした。Ⅲの「失意の海」から「大学レエンの歌」までの作品がそれである。ただし、「大学レエンの歌」に関してはまた別ないきさつがある。この詩はまことに未熟な、おはずかしい詩だと自分では思っているのだが、どういうわけか昔から人に愛され、北條誠さんのごときは今なお、一つの時代を代表する名作だと、真顔でこの詩を賞賛してくれる。
 そういえば、北條さんの青春をテーマにした小説や随想を見ると、必ずといっていいほどこの詩が全篇転載されている。放送で森繁久弥さんが朗読したこともあるし、つい最近の早稲田騒動のさなかにも、学生の手によってこの詩が、月刊「ワセダ」の巻頭に掲載されたことがある。「大学レエンの歌」だけは、そういう友人知人のために、拙さをかえりみず追加した次第である。
(「あとがき」より)

目次

〈Ⅰ〉

  • 夜へのプレリュード
  • 夜の記憶
  • 白の構図
  • 夜そしてトルコ石の空
  • 一九六八年の腐蝕
  • 夜の花冠が死に絶えるまで
  • 風は物語だった
  • 朝のおんな
  • ことばが終ったところから

〈Ⅱ〉

  • 幻想飛行
  • 薔薇の道
  • 黒い分身
  • 夜の祝歌
  • 白日のフィナーレ
  • 寒い朝
  • 静寂
  • 自由
  • 白いオラトリオ

〈Ⅲ〉

  • 失意の海
  • 明日は
  • 昼が終った
  • 暦日抄
  • はるかなる声に
  • 耐忍の日
  • 哀歌Ⅰ
  •   Ⅱ
  •   Ⅲ
  • 大学レエンの歌

あとがき


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