逆流の中の歌 詩的アナキズムの回想 伊藤信吉

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 1963年11月、七曜社から刊行された伊藤信吉(1906~2002)の回想録。装幀は栃折久美子

 

 この本は、昭和初期の思想的「疾風怒濤」時代を、異様な情熱を活気をもって生きた青春の絵巻集と言ってよい。同時にその渦中を通過した著者の自伝でもある。時代の混沌と詩人の彷徨を、詩的アナーキズムの名で語っているが、詩人だけでなく、近代日本人の精神史のなかでも曲折にみちた一時期が、ここに見事に描かれている。
(「帯文/亀井勝一郎」)より

 

 ほとんど運命的といってよいほどの自然な成り行きで、私は二十歳以前から詩の世界にひきこまれていた。それ以外に文学の途はなかった。これは私が群馬県前橋市のうまれだということにかかわりのあることで、その土地では、詩のほかのどんな文学もそだつことがない。いささか迷信めいてくるが、私の生地はそういう奇妙な風土なのである。そんなわけで私の生涯は詩を基軸にしてうごき、詩を基点にしていっさいが起伏した。実際には三十歳以前に詩作をやめたけれども、その後も私の生活は詩に密着していた。そのようにして私は三十余年を詩の世界で過し、多くの詩人たちと知りあった。そこに私の”現代詩の回想”が堆積した。
 私は或る一時代の詩の歴史というべきものは、文献的・資料的記述とともに、その年代を通過したものの体験によって裏打ちさるべきだとおもっている。前者が客観的記述であるとすれば、後者は実感的に歴史を語ることになる。
 その過程で私の接触した詩人たちは、どちらかといえば思想的・社会的要素の濃い人が多かった。太平洋戦争以前に往来のあった詩人はそのほとんどがそうだった。それによって私は詩における思想性や社会性の問題に眼をむけることになったが、そうして最初に通過したのが詩的アナーキズムの地帯だったのである。
 厳密な意味でアナーキズム文学あるいはアナーキズムの詩人を語るには、私自身がその思想とそれの歴史、その運動を的確に理解していなければならない。すくなくともその精神を、誤ちなく身につけていなければならない。だが私はこれらの条件を所有していないし、アナーキズムの詩人だというはっきりとした自覚をもったこともない。私が体験したことがらはすべて詩を起点にしている。それゆえ私のこの回想は、純粋な意味でのアナーキズムの詩および詩人についてではなく、もっと漠然とした詩的アナーキズム」というべきものを対象にしている。純粋なアナーキズムの詩(そしてその文学)については近い将来に誰かがそれを書くだろうし、体系的なその詩史(そしてその文学史)も誰かが書くだろう。
 私のいう意味での詩的アナーキズムを形成した詩人たちの仕事は、それとして「逆流の中の歌」ということができる。私の接触したそれらの詩人たちは、なんらかの叛逆の精神を内包し、自分の置かれている社会や環境、伝統や世俗の秩序、人生の平面からハミ出る姿勢をとっていた。これらの詩人たちはその人格や気質からして、アナーキズムを一つの”内的体験”として体験したのである。情操としてのアナーキズムということは、それを”内的体験”として体験したことにほかならない。
 私のこの意見には反対の人もあるだろうが、それが”内的体験”としてあるということは、労働運動においてアナーキズムやサンジカリズムが退潮した後になって、この系流の詩人が次々に登場し、その文学を推進したことによって立証される。したがってここには政治的プログラムや労働運動における日常的な課題がほとんどなく、そういう”外部”からの圧力がなかった。なんらかの叛逆の精神――もしくは逆流の意思によって自分の立場をつらぬくことができたのである。労働運動はいずれにしろ集団的だが、詩の仕事は個人的・個性的である。そこに、”詩的アナーキズム”の地盤があった。
 この系流とその周辺の詩と詩人について、私はもっとひろく、深く語りたいと思ったが、私のささやかな体験では不可能だった。そういう限界はあるけれども、これだけでも私は或る時代の詩人たち、とその作品について、そしてその時代的な生き方について、或る程度は語ることができたとおもう。
(「覚え書」より)

 

目次

覚え書

詩的アナーキズムの回想

詩的アナーキズムの方へa

詩的アナーキズムの方へb

  •  萩原恭次郎の文学の貫通性
  •  『叛く』の詩人竹内てる代
  •  神谷鴨の職場の詩

芸術的形象化の問題その他

  •  赤旗のある家――陶山篤太郎
  •  被圧迫者への愛――森竹夫
  • 「談別」と少数者――小野十三郎

虚無と消亡の詩人たち

中間的階級の詩人たち

  •  一九二九年版『学校詩集』のこと
  •  『野の詩人』木山捷平
  •  坂本遼のハリマ地方の方言の詩
  •  尾崎喜八の理想的精神
  •  伊藤信吉・小野十三郎の「家系」

現代詩の第三の場

  •  吉田一穂における美学の変貌
  •  晦渋と暗鬱の詩人逸見猶吉

反戦詩篇の渦紋

  •  伏字の中の金井新作の「戦争」の詩
  •  『馬』事件の伊藤和・田村栄

技術と放浪の詩人たち

  •  放浪の製版技術者大江満雄
  •  放浪の機械技術者坂本七郎
  •  田木繁の『機械詩集』に触れて

その周辺の二、三の動き

  •  再び社会意識と芸術意識のこと
  •  『興隆期』の岡田刀水士
  •  サンドバーグの『シカゴ詩集』のこと

詩的アナーキズムの分解

農民詩についての断片

  •  詩における素材的迫力
  •  森佐一・猪狩満直の作品から

資料四点

『歴程』についての二章
 歴程の回想
 私設「歴程賞」のこと

回想に添えて
写真解説

 

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