幻燈の街 梅崎春生

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 2014年5月、木鶏書房から刊行された梅崎春生の長篇小説。解説は柳澤通博。挿画は小林豊、装幀は中島かほる。

 

 梅崎春生は、生前、十二篇の長篇小説――中篇や未完までを含めば――を残した。昭和二十四年の「限りなき舞踏」を皮切りに、晩年の「狂い」「幻化」に到るまで、「日時計(殺生石)」(未完)「南風」「幻燈の街」「砂時計」「つむじ風」「風ひかる」「逆転息子」「人も歩けば」「てんしるちしる」がそれである。未完に終わった「日時計」を除けば、ほぼ十六年間で十一篇もの長篇小説を書いたのだから、梅崎は決して寡作な作家ではなかったといえるであろう。
「幻燈の街」はその中で、昭和二十七年の四月から延ベ六ヶ月(一五〇回)にわたり、「中国新聞」他、西日本の各新聞数紙に連載された新聞小説である。上述の通り、長篇小説としては四作目、新聞小説としては二作目の作品に当たるが、この作品はなぜか他の作品のように単行本化されることがなく、唯一異例の未刊作品となった。六十年以上前に放置されたままお蔵入りにされたわけだから、梅崎文学の研究者や愛好家諸氏でも、現在この作品をお読みになった方はほとんどいないのではないかと思われる。
「幻燈の街」がなぜお蔵入りにされたのか、以前梅崎論を書いた時に、いろいろ考えたことがあるが、これについては梅崎自身は一と言の弁明もしていないのだから、結局は藪の中というに等しかった。自作についてはヒントだけを読者に残して、あまり多くを語ろうとしなかった梅崎でも、この作品についての完全な沈黙には、どこか釈然としない思いを感じているのは、私だけではないだろう。
 梅崎の死後書かれた恵津夫人の「幻化の人」には、ちょうどこの作品を書いていたころの彼の「日記」が引用されている。夫人ならではの引用だが、その中で梅崎は、連載終了が近づくにつれて作中人物たち「丈助、仙波などと別れるの辛し。彼等に愛情を感ず」といっている。それを思えば、彼がこの作品を嫌悪していたからでも、不出来だと思っていたからでもなかったことだけは、まず間違いなさそうだ。私は今回はぼ十年ぶりにこの作品を読み返してみたのだが、ひとたび彼の小説世界へ誘引されると、一気に最後まで連れていかれ、この長篇をなんと一と晩で読まされてしまった。
 梅崎小説の読後感はどの作品を読んでも、他の作家にはあまり感じることのない実に不思議な余韻をふくんでいるのが常で、それが私が彼の文学を愛読する大きな要因の一つなのだが、それでもこんな体験は久し振りで、私にはなかなか爽快なものだった。どう読んでも六十年以上前の作品とは思えないではないか、出「来も悪くないし、とにかく面白い、というのが正直な
感想で、それならばなぜお蔵入りなのかと、私はしばしまた頭を抱えこんだ。
(「解説・後記」より)

 

目次

  • 夜の虹
  • 沈丁花
  • 歪んだ窓
  • 新緑
  • 夕焼雲
  • 罌粟の花
  • 白い水母
  • 水すまし
  • やどかり
  • 積乱雲
  • 薫風

解説・後記

 

木鶏書房