1987年12月、踏青社から刊行された詩画集。詩文は諏訪優、銅版画は棚谷勲。
棚谷勲とわたしとの、この、坂の多い町での不思議な出会いについては詳しく述べないが、今は互いに、似たような意欲や悩みを抱えた散歩仲間、飲み仲間として、風のごとく付き合っているのである。
先日も、ある夏のおわりの午後、ふたりで谷中から根津、はては文京区小日向の切支丹坂あたりまで歩いて、夕方、水道橋の赤提灯に漂着したりした。
切支丹坂に関するわたしの詩は、その後に書いたものだが、棚谷勲のその時のスケッチは銅版画となってこの本に収められている。
ところで、ふたりの共通の友人であり、若い詩人の小池昌代さんもこの周辺の坂を愛しているひとりで、彼女の「坂のある町」と題する美しい詩の、書き出しの三行に次のような言葉を発見した。
坂のある町を歩くと
空がきゅうに
近くなったり遠くなったりしたまさに“坂”の実感であり、この詩の「坂のある町」をこの本の題名に使わせてもらうことにした。
谷中、根津、千駄木を中心にして、わたしのいる田端、あるいは本郷や西片、春日まで含めて、無数の坂があることはご存じのとおりである。
名のある坂、しかも、あれこれといわれのある坂もあれば、まったく無名のひっそりした坂もある。
それらの坂に魅せられた何年かの間に、棚谷勲はいくつもの銅版画を制作し、わたしはわたしで詩や文章を綴っていた。
今度、それらをこうして集めるにあたって、偶然、同じ坂を扱ったものもあったが、そうでないものもある。
この本を手にされた方は、それらのことを気にかけずに「坂のある町」、そして、”坂”というものを楽しく歩いて頂けたらさいわいである。
中には、この本を手に、実際にどれかの坂をのぼってみる方もあるだろう。それはそれでいい。 わたしたちふたりの願いは、銅版画や詩で描かれた現在のこれらの坂の姿が、できるだけ永く変らずにあってほしい、ということである。
わたしたちふたりの郷愁やセンチメンタルな心で、近代化を否定する気はないのだが、何年かのちも、これらの坂はこの本に描かれたような坂であり、「坂のある町」の風景であり続けるだろうか。
棚谷勲の作品の多くは、ユニークなタウン誌である「谷中・根津・千駄木」に連載されたものであり、それに未発表数点を加えたもの。わたしの詩や文章は、別記「初出一覧」に発表したものと、やはり未発表のもの数篇とである。
(「あとがき/諏訪優」より)
目次
「坂のある町」/棚谷勲
- 言葉の杖
- <団子坂Ⅰ>
- 三段坂
- 〈三段坂〉
- 玉林寺うら
- 〈玉林寺脇〉
- S字坂
- <S字坂〉
- 男坂
- 〈異人坂〉
- 谷中草紙
- 〈螢坂>
- ”しゃるまん”でジャズを聴きながら
- 〈大給坂>
- あとは雨
- 〈狸坂>
- 三浦坂
- 〈三浦坂〉
- 感応寺から富士見坂へ
- 〈富士見坂〉
- 坂
- <団子坂Ⅱ>
- アトリエ坂
- 〈アトリエ坂Ⅰ>
- さびしき歌
- 〈アトリエ坂Ⅱ>
- 上の坂
- (上の坂〉
- 切支丹坂
- 〈切支丹坂〉
- 散歩
- 〈三崎坂〉
- 太郎湯
- 〈あかじ坂〉
- 秋のうた
- 〈アトリエ坂Ⅲ>
あとがき/諏訪優