1988年8月、書肆山田から刊行された倉田比羽子(1946~)の第4詩集。装幀は加藤光太郎。
夜光虫の光。腕を組む人。光の滴。指を搦める人。集中する夜。固い肘掛け椅子に座って机のひろがりを探す。その砦のような水面。わたしの躰はどこへも届かないひとつの声。水中から陸上、新しい星がつぎつぎにあらわれ光る。ここからそこまでの距離。長い道のり。パラソルをさして、歴史の無意識がゆく。この自由なる目の中の個体。この不自由な眼鏡の夢を支えにしてゆく。自分とはへだたるものなり。わたしと呼ぶとき、わたしが語るとき。沈黙に似た気泡。記された時間の圧力から溢れる。起こり立つ沈黙。聴こえるのはわたしの躰から。机の木肌を手でさわる。落ちる重み。記憶の断片。それは誰の肉体。すこしの息、すこしの温もりは熱狂する。その懐かしさのようなもの。だから、だれか人の名を呼びたい。アウグスチヌス。カラス。ヒワコもいい。人の名を。人の名が恋しい。書割のような宇宙色のもと。夜の一房に顔を寄せると、わたしは青い空に立っている。そのまま。その名を問う。頭から出てきた日から頭は存在する。まるで乳房の中の揺り籠。まるで無自覚な眠り。一艘の舟。現実、非現実のガラス面。何もない厚み。正面、背後の時軸。何もない。揺れる振り子。そして肝心なわたしの態勢が気になる。力を抜いて、前屈みのわずかな空間に星々。海水。祈り。元素。憧れ。朝の食卓。凹と凸。破裂したり、包まれたり。長い時間をひらいた球体。ガラス球。わたしの眼球。いま、その無限のようなものを書きはじめる。それがはじまり。それが終り。くり返しくり返し。腕を組む姿勢でくり返す。躰が溶けても腕を組む、人のたのしみな仕草をひとつ大切に残してゆく。そして腕がほどけてゆくまでの時間に名をあたえ、凝っと溶けてゆくような残らないものと合体して。合体して、合体してゆく。この青い空。青い夜。光の透かしをめぐったこの名のもとに。それがはじまり。それが終りとも。
(「あとがき」より)
目次
- 月の名
- 何処から
- 二つや三つの場所で
- 東の空から
- 其処にあるもの
- 静かな世界
- 沈黙とかかわりなく
- パッション
- 椅子に座る肖像
- ナチュールスタディ
- 羊歯の生える場所
- 地上の旅人
- 五月はすでに裸木のなかに
- (わたしは)向かっている
- シンバル
- 間奏曲
- 水の鎮守府
- 夢の中、千年の旅
- 夏の午睡のなかの(注視)
- (製作物の中の)光景
- 亀の雙眼
- 晦冥の空
- 夏の鳥
- ひるねの場所
- 魔の小径/幻の生地
- スーパー・オリンピアからはじまる
- コニー・アイランドの夏
あとがき