1994年6月、思潮社から刊行された支倉隆子の詩集。表紙絵はカルロ・カッラ。第19回地球賞受賞作品。
この頃は少なくなったがシンナー遊びをする少年少女について聞くたびにわたしはシンナーのまずさを知っているので(染色の過程でよくこれを使う)どうして彼らは”酸素遊び”をしないのだろうと思ってしまう◆酸素という言葉が好きである。それに加えて詩を書くことはわたしにとって酸素のように必要だという単純で無防備な理由からこれを題名とした。無防備なというのは「それでは詩を読むことも酸素のように必要か」という反問が打てば響かないうちに返ってくるだろうからである。◆でもやっぱり”酸素”にした◆サンソサンジュウイチと読んでもサンソサーティワンと読んでも涼しい感じが自分ではして『酸素31』としたが収録した作品の数は三十一ではなくて三十である◆表紙絵はわたしの好きなイタリアの画家・カッラのどういうわけかあまり好きではない一点を選んでしまった。この点後悔するかも知れない。
(「酸素31後書」より)
目次
そのひと
- 青いまま、青いまま、青いまま
- 昼の月のように移動するだろう
- 遠縁のものも静かに笑った
- おだまき草よ
- わたしが一房、いけどられて
- 夢の途中でも立ちどまるだろう
- 桃山に、捨てられて
- 年のはなれた末子である
- 午後の黒板
- 呼吸法
- まだ中州は見えているか
- まだ肌着をさがしている
- 柳の国から細長くお便りします
- 女神よ、と囁かれた
遊星の一部
- ところどころに他国がある
- 湾内遊覧
- 誘惑――柳からの
- 夜の瓜
- シャワー
- 昼の家
- 夏の花(a)
- 夏の花(b)
- たましいは旅に出る(箒・絲蔵・たましいよ)
- 物語(千客・それから・岐阜の姉)
- 控(水曜日・福耳)