1974年4月、立風書房から刊行された岡本潤(1901~1978)の自伝。『罰当たりは生きている』(未来社、1965年)の増補版。
こんど自伝の増補新版を出すに際して、書名もあたらしく『詩人の運命』としたいという岡本さんの意向が、一子さんを通じて私に知らされたのは正月早々だった。
平凡ではなかろうか? 正直、私はまずそう思った。しかし、やがてその思いを一擲して、『詩人の運命――岡本潤自伝』というあたらしい書名に賛成する気持が湧然と起ってきた。
『赤と黒』の同人は(参加の前後は別として)こんどやはり増補新版の自伝を一緒に出す壺井さん、小野さんの他に三人いた。
萩原恭次郎、川崎長太郎、林政雄である。
この三人のうち、萩原恭次郎氏は『クロポトキンを中心にした芸術の研究』の発行から農本主義に傾き、さらに「亜細亜に巨人あり」の急転回した一篇を遺稿同然に残して一九三九年十一月に死んでいる。
川崎長太郎氏は今日健在だが、関東大震災後の『赤と黒』号外(終刊号)にはすでに参加せず小説へ転じて行った心境は、もと「自叙伝」と題した「私小説家」に語られている通りである(宝文館版『やもめ貴族』所収)。
林政雄氏は『ダムダム』にも名を連ねたがその後の消息はほとんど明らかでない。
結局、こんど自伝を同時に出す三氏だけが、詩人としての長い道程を歩んで現在に至っている。が、それも三氏三様である。
壺井さんはいわゆる「暴力の別れ」以後、みずから選びとった道をまず外していない。
小野さんはその「別れ」た双方と交りを絶やさず、政治的にも思想的にも具現したことのない「アナ・ボル」連合を一身に負うたような毅然たる曖昧さをつらぬいている。
そして岡本さんは、壺井、小野とはちがったはげしい身もだえを示して生きつつ、いま孤絶に近い境地にあることは私が「岡本潤私記」に述べた。
こう見てくれば、一見平凡な『詩人の運命――岡本潤自伝』はむしろ象徴的ですらあって、病床の岡本さんがあらたな書名をそれに定めたいという心境がわかりすぎてくる。実際、感傷に溺没したいほどわかりすぎてくるのだ。
私は少年の頃から、自分の生れる前から生れたのちにかけて存在した「『赤と黒』時代」を常に憧憬してきた。しばしば――のようにと人にいうことで単なる憧憬ではない意志の表明もしたつもりである。そしていつもむなしかった。おそらく、そのくり返してきた虚妄なるものの図らざる代償が、同時刊行三自伝の一部にかかわり、続いて『小野十三郎全詩集』にかかわるということになったのだろう。
三冊とも広く読まれるように。
(「あとがきに代えて/寺島珠雄」より)
目次
第一部
- 驢馬と山猫の混血
- さびしがりやの一匹狼
- 梁山泊へのあこがれ
- 柔道選手と風変りの先生
- 同性と異性
- 全学連のハシリ
- 路地裏の学校
- 早春の通り風
- 母の死の前後
- 奇妙な結婚と文学的出発
- 「暴れん坊」の仮面
- 関東大震災前後
- 「財産は盗奪である」
- ディオニュソス的衝動
- 根なし草のアバンチュール
- アナーキズムの退潮のなかで
- 下水は海に流れている
- 古傷のあと
- 罰当りは生きている
- 総検挙
第二部