1985年1月、花神社から刊行された永野昌三(1940~)の第4詩集。装画は新井豊美。
最近の私は”死んでる”と思う事がある。何を見ても感動するという事がない。否、あるのかも知れぬが心の底にすとんと落ちてこないのである。私はそういう時、私自身に節目をつけるために作品を整理することにしている。
それはいつ死んでも悔いを残さないといえばキザになるが、どんなものでも書き続けていることが私自身にとって生きていることになるのである。
本当は死んだ心でものを見、考えているのかも知れない。そんな不安につきまとわれるから過去を消してしまいたい衝動にかられる。
一冊の詩集をつくることは試練の時なのだと思う。何故なら、貧しい裸の恥を、その内部をさらすことになるからである。私は詩という世界に、私の小さいうめきを吐きつづけることによって、自分の生きて歩んだ道を一度は確認しておきたいのかも知明れぬ。
一篇の詩にもう一度生命の証明と呼ぶべきものが存在していたのかどうか知っておきたいのだと思う。このようにいえば、過去を消したいということと大いに矛盾するが、どうも私という人間はその矛盾の中を右往左往しているようである。こんなことは今さら言う必要もないのであろうが、少しはもののみえる人間になりたいと思っているのである。そのことが可能か不可能かは別にして、過去の自分のむくろを盗人のような目で見詰めることに迫られていることはたしかなことである。
この詩集に収めた詩篇は一九八一年から八四年までの間に「詩界」「埼玉詩集」「地球」「あいなめ」「やまなみ」「川のあるまち」などに発表したものである。
(「あとがき」より)
目次
- 水
- 山茶花の咲いている空
- 橋
- あじさい
- 遍歴の海
- 風と光と雲と
- 窓
- 演出
- 落日
- 通勤電車風景
- 夜明けの紫陽花
- 佐渡の夜
- 黎明の彼方へ
- 闇の葬列
- 公園のベンチ
- 小さい生命
- 都会の小鳥
- 猫
- 馬
- 蛇
- 亀
- 交尾
- 孔雀
- 法師蝉
- 犬
- 猫の鈴
あとがき