1992年3月、白楽から刊行された佐岐えりぬ(1932~2018)のエッセイ。附録栞は、加賀乙彦と奥野健男。カットは河原崎長一郎。
この物語は半世紀も前に、実在していた京都東山のアパートで、太平洋戦争の戦中戦後を過ごした人々の生き方を、子供の目を通して描いた回想記である。
現在の時点からふり返ると、これらの話は作者の私ですら、まるで幻のように思われてくる。偶然に五十年も前の、「清閑荘」アパートの廃屋を目前にしたとき、信じがたいという驚きがとっさに私を駆りたてた。書いておかねばと。そうして遠い記憶の糸を辿ることになった。
この「清閑荘」と呼ばれていたアパートは、すでに京都の住民からも忘れ去られてしまっている。幸いにも、大阪毎日新聞社の川村正文氏の協力を得て、一つの貴重な情報を頂いた。三寧坂で旧くから七味唐がらしを商っている老舗、「七味家」の第十三代目会長、福島仁良氏の話によると、「清閑荘」アパートとなる以前は、「霊山温泉」(一時は、「東山温泉」)と呼ばれ、今日のレジャー・センターのような施設であったという。中央にプールがあり、冬はこれが沸かし湯の温泉となり、建物の二階では芸人たちが芝居を打ち、客に見せていたとのことである。
二十世紀を代表する、世界の偉大な芸術家や学者、政治家もすでにこの世になく、私には一つの時代が確実に終わるのが実感される。いつの世にも庶民こそはその時代を生きた、歴史のひと駒の担い手であるのを忘れることはできない。この物語の中で、私という一個人は人間形成期である少女時代にあり、その背後には人々の運命を狂わせる、理不尽な戦争がすべてを支配していた。人は結局、自分の育った時代を根拠として生きるより他はなく、その時代を共有した世代にしか実感できないこともあるようだ。
(「あとがき」より)
目次
- プロローグ
- 転校生・京都へ
- 大チャンの死
- ホースケラッパ
- 砂漠に日は落ちて
- 非国民
- 戦時下の女学生
- 終戦直後
- 八重子さんの部屋
- 次ちゃんの運命(さだめ)
- 着流しのロシア文学者
- 平和のきざし
- エピローグ
あとがき