レプリカ 屑の叙事詩 石毛拓郎詩集

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 1985年11月、思潮社から刊行された石毛拓郎(1946~)の詩集。叢書「詩・生成」の6。装幀は菊地信義。付録栞は鈴木志郎康「『凶悪』から『原型』へ」。

 

 戦後の、気のゆるみか。1946年、茨城県鹿島郡波崎町大字別所に生まれる。石毛姓は、母方の家系、本賞は石下町。本名、孝友。
 三歳過ぎても歩行不能。栄養不良、虚弱体質。慢性の下痢に以後、成人するまで悩まされつづける。四歳の春近くに、ようやく立つ。村中で祝福してくれる。朝鮮動乱の末期、小学校に就学。家から、北の裏道を走って、三分足らずの木造二階建ての腐朽校舎。裏側に墓場、その傍に宿直室があり、ドテラをかついでよく泊りに行く。下痢のため、逃亡することもあり。軟弱克服のため、草野球に我を忘却、熱中する。校医に<おっかあに、うまいもん食わせてもらえ>と、よく言われた。町にあった唯一の映画館「東座」の出張映画を、村の公民館の暗幕をこっそりくぐって観た飯田蝶子三益愛子の新東宝「母もの」は、民主少年の小さき胸をかきむしった。ラジオからは「新諸國物語」。
 犬のペニス状に鹿島灘に尖きでた町は、1960年頃、読売全国版三面にて<陸の孤島に悲願の大橋かかる>などと、あらぬ同情を受けた。東京の「安保」騒ぎに無縁で、この頃「日活アクション」にかぶれていた。今村昌平の『豚と軍艦』を、戦災のまま残った「銚子日活」で観、衝撃を受ける。と同時に、日活青春物とは、おさらば。中学二年の秋口だったか?
 1962年、利根川対岸下総銚子(『澪つくし』ブームの)にある市立高校へ、越境入学。船で利根河口を渡り、町場の風に触れる。1965年、単身上京。世田谷駒沢新町でアパート暮し二年。この時、同居していたMの友人、加藤賢治(女優・佐藤オリエと後年、電撃的に結婚。数年で離婚した芸能ルポライター)と、知り合う。彼から現代詩を教えてもらう。初めの現代詩は、確か岩田宏の「殺しの唄」だったと記憶している。それは未知の言語世界との遭遇だった。1970年、大学を追試験卒業。婦人服・下着の店員になる。この頃、黒田喜夫と出会う。一緒に散歩できるくらいまだ元気であった。FRP(強化プラスチック)成形機販売。体を壊して失職。直後に長女生まれる。電設工事の仕事をへて現在、小学校教師。
 1973年『朝の玄関」、ついで『植物体」「笑いと身体」『子がえしの鮫』『眼にて云ふ』を出版。1983年、川俣軍司の妄想を種に連作『阿Qのかけら』を刊行。と、同時に「レプリカ」の連作にとりかかる。1984年、「イエローブック」を創刊、同人。
(裏表紙掲載の自己紹介より)

 

目次

  • 阿呆の蜃気楼
  • 寓話はいつも背後からやって来る
  • 火――贋作「カチカチ山」
  • 渡世
  • 哀怒の劇薬
  • 小さき者の
  • フリークスの没落
  • 妄想のかけら
  • ゲンカイブツ
  • レプリカ
  • ボウガ、ロン
  • 鬼のアウラ
  • 戯詩三題
  • ニンジン飲んで首縊る
  • 屑屋私記
  • 君の名は
  • 毛なり
  • ふしぎじくう
  • ブローニュの変換ミラー
  • 死体ゆらぐぞ、麻に旅に 美麻とトリップ
  • 其ノムカシ、アルトコロニ……藤井貞和『ピューリファイ!』のコトを聴く
  • 火ノ玉
  • 身ぬきの下降過程

屑の叙事詩ヘ――あとがきにかえて

 

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