1977年12月、現代社から刊行された細川宏(1922~1967)の遺稿詩集。編集は小川鼎三(1901~1984)と中井準之助(1918~)。
ここに編んだ詩篇は、彼の闘病生活の間に書かれたものの一部である。このうち、「花さまざま」は、いろいろの人々から病床に贈られた花それぞれについてうたったものである。昭和四十年八月に彼は、この「花さまざま」に「病者」という長篇詩を加え、謄写版印刷にして赤い表紙をつけ「病床雑記より」と題した私家本として知己友人に見舞のお礼として配布した。いま彼自身がその小冊の冒頭に記した文を引用する。
「序――
思いがけず今年も一月早々からほぼ半歳を病床ですごしてしまいました(黄疸と腸管癒着剥離吻合手術)。その間よみ書きも意にまかせぬまま一日の大半を花を眺めてすごすことが往々でした。いろいろな方からお見舞いにいただいた心のこもった花々です。そして今さらのように花々のもつそれぞれの美しさと、表情のゆたかさに心打たれました。時折りその印象を小さいノートに書き記したのですが、もとより稚拙きわまるものです。それでも私の病床生活のささやかな記念として、日頃いろいろご親切にあずかっている親しい方がたの笑覧に供そうかと思います。
第二部としてつけ加えたのは、昨年(胃切除手術)から今年にかけての病床生活における私の実感――Patients must be patient(患者は辛抱が肝心)――をややドラマチックに記したものです。―― 一九六六年八月細川宏」細川君は心底謙虚で真摯な人であった。ユーモアを最後まで失わなかった。このことはこの本を読んでいただけば、どなたにもわかってもらえることである。
激しい癌の苦痛の中で記した日記や詩の中に彼一流のユーモアでカムフラージュされた箇所に出会うと、余計身につきささる思いがしてならない。
「病者」の英文の題名にも彼の日頃連発した駄じゃれがあるが、これはあまりに深刻すぎる。
その「病者」の中で、病者が自分の病気を癌と知って、なお他人に口外しないくだりで、彼は続ける。「……もしかりに僕が、俺はもうすぐ死ぬんだぞと、会う人ごとに言ったとしてみてごらんなさい。当人の気持は無理からぬとしても返答に窮して困惑するのは、そういうのっぴきならぬことを告げられた人達、つまり僕の親しい周囲の人々に他ならないでしょう。そんな身勝手を僕のささやかなプライドがどうしても己れに許す気にはならなかったのです。もっとも一面ではそのような返答のしようのない宣言によって周囲の人々と僕との間のすべての会話が断絶してしまうことに、この僕自身が耐えられなかったのかもしれませんが……」
彼が本当に癌と知っていてこれを書いたのかどうかという詮索はすまい。この何行かの中にこそ細川君の真摯な姿がこめられている。彼はそのような人であった。
(「編者あとがき」より)
目次
病者 ペイシェント
花さまざま
- あじさい
- アナナス
- アマリリス
- アフェランドラ
- アンスリウム
- えのきだけ
- カーネーション
- ガーベラ
- かんぞうたけ
- ききょう
- きばなさくらそう
- きんちゃくそう
- グズマニア
- グラジオラス
- グロキシニア
- くんしらん
- サボテン
- シクラメン
- しゃくなげ
- しゃくやく
- シャスターデイジー
- しゅんらん
- すいれん
- スイートサルタン
- スイートピー
- すかしゆり
- すずらん
- セントポーレア
- ダーリア
- チューリップ
- つた
- つつじ
- てっせん
- てっぽうゆり
- トラデスカンチァ
- なでしこ
- はなあざみ
- はなさふらん
- はなしょうぶ
- 黄色いバラ
- バラの新種
- バラの表情
- ヒヤシンス
- フリージァ
- ベコニア
- 変葉木
- やぐるまそう
- らっぱすいせん
- らん
- れんぎょう
胸の水
- 胸の水
- 心電図
- 子守唄を吹くチャルメラ
- ひょうたん
- 名月
- 永遠
- 故郷(ふるさと)の梅干し
- ミロの画集をみて
- 海と漁
- 波
- 大福餅
- ラッキョウ
- 無用と有用
- 注射
- 白い手
- 半酸素性動物
- アンプリファイヤー
- 溶岩
- 記(しる)す
- 硝子戸の中
- 時の力
- 平和共存
- いのちの尊厳と医学
- くま
- 胸腔穿刺
- 執念
- お尻
- 鼻の孔
- 廊下
- 垂直的振動
- ガマ
- 喰らう
- 二つの態度
- 努力
- 理窟
- 病苦と心
- 戦闘
- しなう心
- わが身のために他ならず
- 人の世
- 入院以来一〇〇カ日
- すきま風
- おおみそか
- しゃぼん玉
最後の日記
編者あとがき