2000年2月、思潮社から刊行された稲垣瑞雄(1932~2013)の第3詩集。
ガンを宣告されたのは一九九七年四月、思潮社から第二詩集『海聴け』を出した直後だった。まさか胃の全摘手術に至るとは思ってもいなかった。が、気がつくとぼくは、鯔背ならぬ”胃無し男”にされていた。
それから三か月、盲腸に毛の生えた程度の手術」などとは真っ赤な偽り、間質性肺炎、膿胸、そしてMRSAと、多臓器疾患の見本のように体のあちこちに管を差しこまれ、ぼくは個室のベッドに繋がれていた。後で聞くと、医師たちはもう半ば見放していたのだという。妻だけが、泣きながら必死の介護を続けていた。
ぼくの肉体と精神が、真の意味で闘いを開始したのはその後だ。見舞いに来た肉親たちの眼に、”最期の見納め”といった憐れみをありありと看て取ったからだった。死んでたまるか、と思った。ぼくにとって”生きる”とは、言うまでもなく死の瞬間までペンを執り続けることだ。妻の努力に報いるためにも、すでに二十年以上発行しつづけてきた彼女との二人誌「双鷲」の、火を絶やすことはできなかった。
真夜中の詩作が始まった。戦時下の灯火管制のように照明をしぼり、酸素吸入器をつけたまま、一字ごとに呼吸をととのえ、刻みつけるように紙片を埋めていった。翌朝、それを妻に渡す。彼女はたちどころにワープロで打ち直してくる。朱を入れる。そして九月、ついに「ガン病棟から(その一)」十一篇、四七二行が完成した。十月に予定していた「双」第9号の発行に間に合ったのだ。
あとは一瀉千里、確実に年二回のペースを守って、翌年の十月には第50号の記念号、そしてこの秋には第52号を発行した。その間発表した多くの作品を割愛し、ここに闘病の詩だけを蒐めてお届けする。たとえどんなに拙くても、それこそがまぎれもなくぼくの生きてきた証であるからだ。
(「あとがき」より)
目次
- 神の磔
- 海月
- 裏切り
- ハイエナの眼
- MRSAの女
- 砂漠 または渇きについて
- イソジンとハチアズレ
- 窓
- ウィッシュボーン・シャンプー
- お清拭
- ネブライザー
- 懺悔
- デッド・サイレンス
- 氷枕の釣師
- メラ・サキューム
- 脱出
- 雲に搏たれて
- 超えて行くもの
- E・Dシャワー
- 風の来た道
- 越乃寒梅
- 今朝の匂い
あとがき