1961年1月、国文社から刊行された黒田喜夫(1927~1984)の評論集。
四、五年前、代々木病院のベットのうえで呻吟していた頃、当時国文社の仕事をしていた松永伍一からエッセー集をださないかとの話しがあった。そのときの相談では、安保闘争の葛藤や私などが日本共産党を批判して除名されたことなどをモチーフにした問題性のあるものを書下してまとめるということだったが、病状悪化のため果すことができなかった。気にかかっていたが、昔やった胸部手術のあとの化膿部分を切開してそこから肺気管枝までガーゼをつめ、鼻には酸素吸入のゴム管をつっこんでいる有様で、どうにもならなかった。
その後、清瀬の国立東京病院外科に移り、そこで手術をうけてせっぱつまった苦境を切り抜けることができたが、すでに最初の話しのときから何年かたっていて、手は煮えこじれた具合だった。呻吟のあい間に多少書いたものもあったが、読み返してみるとやたらに悲壮原嘆にみちているばかりで物になっていない。結局、いままで雑誌や書評紙に書いた文から何とか自分の問題意識がでていると思われるものを集めて、古くなった約束を果すことになった。退院後初めてだす本をこういう形にするのは残念だが、仕方がない。
それで、どうみても論集といえるような物にはなっていないが、いままで書いてきた詩や実践行動の根の断片といったところだろう。書評を除けば、そのときどきに詩にまで仕立てあげられなかった意識を書き述べたものだけだ。まずは一種の体験話しにすぎないが、そのなかの「私」がそっくりそのまま私自身だというわけではない。例えば『詩とアナキズム』という駄文のなかに「私は自由ないしは正義を求めて革命運動に参加するという意識を知らなかった」と書いてあるが、実際に一人の人間が革命運動に参加する場合には、そういうことはあり得ない。しかし私が述べ得る思想の目に見える相貌を突きだすために、そう書く必要があった。詩を書くときと同じに、原理的にではなく自己意識を行動の軌跡にのせることで何かを述べたかったわけだ。批評を成立させるためには、例えば自己意識の破滅という方法をとる必要があった。いま読み返してみるとどうかと思うものばかりだが、ただ、底の方から歩きだした者の貌を幾分突きだすことができているなら、慰めである。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ 死にいたる飢餓
Ⅱ 「灰とダイヤモンド」の死者たち
- 「灰とダイヤモンド」の死者たち
- 大島渚「戦後映画・破壊と創造」について
- 「ブダベスト一九五六年」ほか
- 耳・音・自由
- 戦後主体とレジスタンス
- アジアの水とヒューマニズム《映画「濁流」について》
- 無名者はどこか《映画「レニングラード交響曲」について》
- 平凡のなかの異常はあるか《映画「河は呼んでいる」から》
Ⅲ 蒼ざめたる牛
Ⅳ 悪女論
- 田舎インテリの害悪
- 悪女論《映画「にごりえ」ほか》
- 日本版「どん底」とは何か
- 山本周五郎「天地静大」について
- 岡本太郎「忘れられた日本」について
- 松永伍一「陽気な農民たち」ほか
- 「書かれざる一章」とその周辺
Ⅴ 深みの歌
あとがき