戦前、本郷菊坂台上にあった菊富士ホテルは、その特異な雰囲気を、かつてここを仕事場として親しんだ作家の宇野浩二や広津和郎などの筆により、さまざまに伝えられている。そして宇野浩二はいつかこの風変りな高等下宿と、そこに泊っている人々のことを元にして、バルザックの「ゴリオ爺さん」に匹敵する本格長編を書いてみたいと息ごみながら、ついに夢を果さなかった。
菊富士ホテルの不思議さは、大正三年の開業から昭和十九年の終業まで、わずか三十年の歴史のうちに、正宗白鳥、真山青果、大石七分、大杉栄、伊藤野枝、羽太鋭二、竹久夢二、谷崎潤一郎、増富平蔵、兼常清佐、三宅周太郎、高田保、石川淳、尾崎士郎、宇野千代、宇野浩二、直木三十五、田中純、前田河広一郎、三木清、福本和夫、広津和郎、中条(宮本)百合子、湯浅芳子、石割松太郎、菅谷北斗星、川崎備寛、間宮茂輔、坂口安吾などの文筆に関係ある人びと、俳優では片岡我童、中村雀右衛門、政治家では青木一男、インド首相となったシャストリー、また外国人学者ではソ連のコンラド、ネフスキー、プレトネフ、イギリスの詩人ブランデンなど、ひとかどの人物がつぎつぎと宿泊していることである。
しかも宇野浩二の六年、広津和郎の十年のように、長く腰をすえホテルを我が家のごとく振舞っ人々も少なくないし、その他、名は挙げなかったが数ヵ月の逗留をした文化人たちは枚挙にいとまない。かつて一流出版社の編集者の入社テストに、菊富士ホテルが出題されたというのも、うなずかれることである。
大正時代を暗黒時代と考える人はもういない。それどころか昭和初頭へかけて、文学史的には最高に豊饒であり、「青鞜」の運動や、築地小劇場の開場もあり、労働運動も台頭し、あらゆる面での近代化が進み、さらにモダニズムへの移行の見られる楽しい時代であったことが、いまは証明されている。そして菊富士ホテルの住人たちの間でかもされた雰囲気も、またそうした時代の豊かさを反映してか、自由で放縦で、ずぼらで混沌としていた。
それは、内地雑居を思わせる各国人共棲の空気が、いつか自然に醸成したものなのだろうか、あるいはこのユートピアに安住した文士たちが、思い切って羽を伸ばし、その盛名を慕って菊富士ホテル入りをした文学青年たちによって、いよいよ助長されたのだろうか。または経営者羽根田幸之助、きくえ夫妻の性格が、そのまま下宿の空気に反映したものだろうか……。
ともあれ、埋もれたこのホテルの歴史を掘りおこすことが、また同時代の文壇史の一端を顕らかにすることを信じて、私はペンを握ったのである。
(「はじめに」より)
目次
はじめに
第一章 菊富士ホテルの誕生
- ある夏の日に
- 羽根田幸之助の上京
- 菊富士楼
- 幸之助のアイデア商法
- 東京大正博覧会
第二章 エキゾチックな雰囲気の中で
- 第一次世界大戦
- ロシアの東洋学者たち
- コンラドの恋
- ネフスキーと粛清
- レスト・ド・ブレトネル
- 大杉栄と大石七分
- 一犯一語
- 伊藤野枝
- 日陰茶屋事件
- リスの毛皮と谷崎潤一郎
- 夢多き男
- 食堂がきらいだった夢二
- 名作「黒船屋」のモデル
- 天才翻訳家増富
- 女房のようにピアノを愛した男
第三章 宇野浩二をめぐる人たち
- 広津和郎のかけおち事件
- 青桐のみえる部屋
- 福本和夫の入居
- 混迷の時代
- 女給の歌
- ロシア新帰朝の女たち
- 広津の女房
第五章
- 風の音
- 矢田津世子
- 一本の藁
- 炎上
おわりに
年譜
主要参考資料
<折込付図>菊富士ホテル付近略図
菊富士ホテル平面見取図