1987年8月、オホーツク書房から刊行された三木澄子のエッセイ集。
これは奇妙な本なのです。私にはそんな気はなかったのに、ある魔法使いが不思議な魔法を私にかけ、出版されることになったのですから。
東京暮らしだった私が、はじめて北海道に旅をして、網走の自然に魅せられたのは、昭和四十年秋でした。ついに四十九年春、夫と共に猫一匹を連れて、網走呼人の山間に越して来ました。八年間幸せでしたが、突然夫を喪い、その二年後も死に、ひとりぽっちになりました。けれども心あたたかな多くのかたに支えられ、何かしら書きながら生きていたのですが、三年前から心臓の疾患で入退院を繰り返すようになりました。一時は心身ともに衰弱しはてて、死にたいとばかり思っていました。
そんなときに、F青年が言ったのです。
「網走に来てから書かれたエッセイを本にしましょう。いい装幀で」
彼は出版屋さんを兼ねた印刷屋さんです。誰にもまして、私を労り、励ましつづけてくれました。それもさりげないやさしさで。
「本になるほど書いてはいないし、第一私は書いたものはたいてい捨てちゃうから、いくらも残ってないわ」
「僕の所にかなりあるし、何とかしますよ」
私は真に受けませんでした。私を激励しようとして、できもしないことを言っている、と思いました。本なんてむなしい、という気もありしました。
「本のタイトルを考えておいてください」
「そうね」
気のない返事をしました。
「まだタイトル決まりませんか」暫くして催促されたとき、ようやく彼は本気なのだと知り、その厚意にむくいなければいけないと、弱々しい心で考えました。
「(北のソネット)どうかしら」
「あ、いいですね。(北のソネット)。本のイメージがわきました」
彼は楽しそうに微笑しました。そして早速、新聞社に行ってコピーを取ったり、自分が保存している雑誌から切りぬいたりして、私のエッセイをあつめました。
いい装幀
私は何よりそれをたのしみにするようになりました。彼はすてきなセンスの持主だから、内容の粗末さをカバーするような装幀にしてもらえるのだろう……だから彼が一応の見本のようなものを持って来たとき、あっ、と私は驚きました。何と表紙は私の画ともいえない画ではありませんか。病院で多くのかたからいただいた花を、そのまま散らすのが惜しく、何かの形で残したいと思い、私は学校でいつもいちばん点の悪かった画を描く気になったのでした。サインペンとボールペンで、便箋の裏表紙や新聞の折り込みチラシの裏に、さっさっと五分くらいで描きました。その第一作を、画家でもある彼に、失笑されるのを覚悟で見せたのでしたが、それがそのまま表紙になっていたのです。おまけに彼はカットも描けと注文しました。嫌と言わせないのが、この魔法使いの魔法の不思議なところです。病気も快方に向かっていたので、私はまた花の画を何枚か描きました。花しか描けませんから。
そして退院して、二篇を書き加えました。(命拾い)と(八つ手の木陰)です。
私は私自身のためより、世にも心やさしい魔法使いのために、ひとりでも多くのかたに、この本をお読みいただけるよう祈っています。
(「あとがき」より)
目次
- 年賀状
- わが網走
- 猫と花
- 故新田次郎氏
- 蝶(チョウ)
- 横書き
- 原始回帰
- ビワ
- ないものねだり
- 黄菊
- この青春
- 黒い隣人
- 忘れがたいこと
- 眼科医で
(以上朝の食卓)
- 花嫁衣裳
- 旅
- 網走の女性
- 荷揚坂
- 昔昔・大昔
(以上アイスター)
- 八年目の再会
- 春の驟雨
- 美しい顔
- 奇蹟
- ほうき星の記憶
- ネコと馬
- 濃霧
- トイレのおしゃれ
- 出版の良心
- 芳香
- 全館満員
- いとしきものよ
- めまんべつ・かわら版
- 質屋と犬
- 新雪に花を
- 仲間たち
- 後ろ姿
- 花嫁が消えた
- 北の青春
- チューリップに思う
- 音楽
- 魔の部屋
- 奈良の雪
- 日本にただひとり
- 女性添乗員の話
- 秘話
- 三眺流灯会
- ピアノと機動隊
- 幽霊
- 涙の種をまく
- 香水
- カンツウ
- めぐりあい
- おとぎの国
- 心
- W先生に感謝をこめて
- 初夢
- パンと牡蠣
- 手作り結婚式
- 童話のような話
- 一冊の画集
- お寺で音楽を
- 防雪林
- 点、線、面
- 山田洋次監督のお話
- 八百字の小説
- クリスマスプレゼント
- 人間とは
- 大好きな女性
- 花
- ふしぎな音楽
- 網走まで
- 美しく老いる
- 喜びになれ
- おにぎり二個
- 花とキンピラゴボウ
(以上防雪林)
- 新春回想
- 網走早春
- 手紙雑感
- オホーツクの少年
- 最後の恋
- 命拾い
- 八つ手の木蔭
あとがき