1981年4月、私家版として刊行された倉橋顕吉の遺稿詩集。編集は顕吉の弟、倉橋志郎。
今は、人間の詩が政治にふみにぢられている時代だ。
水遠に詩が政治の足の下にあるとは、しかし考へられない。
…………生きること、この眼をこらし、この眼でたしかめ、私は痛切に生きることを欲する。
と昭和十四年頃の日記にあります。
あの戦争への道をつき進んだ時代に、その流れを、行きつく先を、冷静に見つめ、来たるべき日にそなえていた兄が、昭和二十二年六月、その待ち望んでいた時代の幕あけを見ながら参加することもできず、その滑車の音に送られるように逝ってから、はや三十余年になります。
その間、兄の詩や日記を一冊にまとめておきたいと思いながら、なかなかその機会もなく、いたずらに目を過して来ました。
そのうえ、顕吉の良き理解者であり、友人でもあった岡本潤氏も亡くなられ、出版も益々遠のく思いでした。
しかし、その頃から、長兄潤一郎(石川究一郎)の作品集の発行、土佐プロレタリア詩集の刊行、猪野睦氏による「倉橋顕吉ノート」の脱稿等と続き、車輪時代からの盟友、土井氏からも、二十四年刊「倉橋顕吉詩集」の複刻版発行のお話がありました。
そこで、この際、かねてからの念願であったこの本を、碑銘を刻むつもりで刊行することにしました。
長い間に、資料等も散逸してしまいましたが、車輪、文化組織、顕吉詩集、現代史研究(昭38、宍戸恭一発行)等と、わずかに残されていたノート、手帖、岡本氏の手紙等をもとに、顕吉の姿を、その時代の流れを背景に描き出せたらと、素人なりに試みてみました。初めての本づくり、校正、割付けなど馴れないことばかりで、読みづらいところもあるかも知れませんが、全て、ご寛容のうえ、ご一読頂ければ幸甚に存じます。
紙面の都合で翻訳物等は割愛しましたし、詩歌等でも洩れているものも多いと思います。もし、ご存知のものがあれば、お知らせ頂ければ幸いです。
なお、「倉橋顕吉ノート」は詩誌「塩岩」に連載されたもので、引用詩など重複していますが、生きざまとその背景を知るうえにも欠かせないものと思い、猪野氏にお願いして、そのま、転載頂きました。
そのほか、鈴木一子氏(岡本氏息女)、関根弘氏、土井清氏(立川究)、寺島珠雄氏、ニューカラー印刷の奥田昭之氏など、多くの方々のお力添えでこの本を出すことが出来ました。
こゝに、厚くお礼申し上げます。
(「あとがき/倉橋志郎」より)
目次
- 倉橋顕吉のこと 岡本潤
- 詩集”みぞれふる”
- 驛にて
- 詩人よ野良犬のごとく
- 友に
- 花に愛を
- 「車輪」創刊の辞
- ゴリキイの死にをくるうた
- きやうだいへ
- こほろぎの歌
- 感想 典型的感情に就いての走り書
- まっ白いエプロンをつけて 農場にいそぐコルホーズ婦人たち
- ノオトから(舊作抄)
- アツコオデオンに就いて
- プーシュキンに就いてのメモ
- 曇り日の空に
- スペイン戦士の歌(訳詩)
- 夜雨
- 流行歌批判
- 将軍
- 雷雨
- 工兵隊の堤に
- 第三帝國街夜話
- ピヨルネ氏の茶碗
- プーシュキン詩抄より(訳詩)アリオン・花
- あの頃
- 暗闇の底を歩く奴
- みぞれの歌
- 「ノート」より(おふくろが……)
- 無題(茫々……)
- みぞれふる
- 山上墓地
- 小事件
- 肉體
- 感想
- M伸銅附近の野にて
- いささか熱っほい日である。
- 能の座
- 主張 世代に就いて
- 動機の鬱積(四迷について)
- パミール
- 史蹟について、
- はじめに笑ふもの―レエルモントフ論序
- 餘白
- 悪意について―レールモントフ・ノオト
- 生活風景Ⅰ―レールモトフ・ノオト
- 手帖より(歌ハワビシク)
- 「日記」より(晨)
- ACCENT
- 「無題」(卅而立)
- 異境
- 蒙古風
- 爪
- 詩の鑑賞と批評―岡本潤
- 異郷
- 萌黄色ノ戎衣二ヨセテ
- 宮城前広場
あとがき