1999年6月、思潮社から刊行された高良留美子の第7詩集。第9回丸山豊記念現代詩賞受賞作品。
一九八七年に『仮面の声』を出してから一二年間、新しい詩集を出さなかった。昨年「第一神戸高等女学校」を書いたあと、自分のなかである過程が終わろうとしているのをわたしは感じた。「草原にて」も、一つの終わりを示唆していた。自選評論集を出してまもなく、さまざまな意味で死者たちと関わらざるをえない数年間がわたしを訪れた。それは自分に、過去への〈退行〉を許すことのできる時間でもあった。
一九六〇年代から考えつづけてきたことに、モダニズムをのりこえるという問題がある。それはある意味で戦後詩をのりこえるということでもあった。ドキュメンタリーの方へ、フォークロアの方へ、アジアの方へ、そしてフェミニズムの方へとさまざまな試みをつづけてきたが、自分自身の幼年期への遡行と退行が、わたしの場合不可欠であったと思う(その表現は散文でもつづけていて、そろそろ終わりかけているのだが……)。この時期の親の世代の経験との運命的な交錯が、ことばへの原初的な関係を形づくっているのだが、その骨格は半ば以上無意識の沼に沈んでいる。
モダニズムの克服は、自分の身に帯びてきた暴力性の克服という面をもっていた。批評精神や言葉のもの性の重視とともに、暴力性や価値へのニヒリズムをも抱いていた二〇世紀のモダニズムから、他者と交流し自然と交感する新しい価値観をもった二一世紀の詩の可能性ヘ――モダニズムの魅力にとらえられてきたわたしとしては、性急にことばの意味性だけに頼るのでなく、ことばのもの性や自然性など、モダニズムのよい面を保持しながら、両者を拮抗させつつ、この暴力と殺戮に満ちた二〇世紀に別れを告げたいと願っているのだが……。
なおこれらの詩のいくつかは、この時期わたしの参加した女性解放運動、平和運動、アジア・アフリカ文学運動などを契機として、ときには集会での朗読を視野に入れて書かれたことを記しておきたい。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ 風の匂い
- 風の匂い
- 見出された小路(1)
- 妖精たち
- 見出された小路(2)
- 風の夜
- 母を抱く
- 昔の庭
- 水辺
- 第一神戸高等女学校
- ことば
Ⅱ はじまり
- はじまり
- 泉
- 無題
- 愛のあと
- 無垢な心が
- オホーツクの夕日
- 鏡
- 競馬場にて
- 天王寺動物園
- あかちゃん
- 人の顔が壁になるとき
Ⅲ きず
- 母ごろしの唄
- 娘
- コインロッカーの闇
- もう二度と
- きず
- 異生物
- 棒を呑んだ役人と
- きょうだいを殺しに
Ⅳ ひとりの女のかたわらで
- 花をつくるローザ
- ある女(ひと)へ
- ひまわり
- ひとりの女のかたわらで
- 芽
- 想い
- 女たちが地球を守るとき
- 王様は裸かだ
- オスの時代
- 秘密
Ⅴ オリーブの枝
- 草原にて
- モスクワ通過
- ハンナ・K
- ハイウェイを往く
- 韓国旅情
- 権
- オリーブの枝
- 見えざる力
- オリュンポスの山で
あとがき