1999年5月、講談社から刊行された日野啓三の長編小説。装幀は山崎英樹、装画は難波田龍起”白い線A”。
関東平野の北西、群馬県から日光に抜ける山中の国道を車で走った。一九九六年秋のこと。その地域の山林で枯死する樹木が増えている、と新聞で読んだから。
そして国道のすぐ脇で、その小さな湖に出会った。湖岸の公営キャンプ場はすでに閉鎖していて、他に一軒の民宿も休憩所も人家もなく、暗く透き徹る水面は海抜千七百メートルの秋冷の気を凝縮して、ただ静謐だった。まわりの山腹から点々と突き出た死木の白い枝を、夕陽が赫々と染め……何かこの世のものならぬところという強烈な印象から、「天池」という古い言葉を自然に思い浮かべた。
ただし古びたボート乗り場の浮き台が、長く湖中に突き出していなかったら、そこを小説の場所にしようとは思わなかっただろう。先の切れた浮き橋の上を歩く幾つもの幻影の後姿が、見え隠れした。その人たちの運命を知りたい、と激しく思った――あの影たちは私だ、と。二年余にわたった連載中に、二度も手術をしなければならなかった(転移ではなく共に原発)。それまで書いた分を封筒に入れ、「遺作未完」と表書きして入院した。いま完結して「あとがき」を書いているのが、夢のようだ。
ただ再度の中断が作品の流れを乱したのではないか、と恐れている。生き直す気で書き継いだから(第V章の終りと第V章の終り近い部分で)。
少し休んでから、次の長篇を書くだろう。今度はどんな地霊たちに出会うだろうか。
(「あとがき」より)
目次
- Ⅰ 夜は山をのぼる
- Ⅱ それぞれの湖
- Ⅲ 傷
- Ⅳ ふたりはひとりではない
- Ⅴ 目を覚ませ
- Ⅵ 静寂の奥行
- Ⅶ 光る闇
- Epilogue
あとがき