1964年3月、街の会から刊行された丹野茂の詩集。装幀は布施哲太郎。
わたくしが詩に関心をもったのは、郷土が生んだすぐれた詩人、土谷麓氏を知ってからである。
当時のわたくしは、十八才の少年だった。まずしい農家の、そしてなかば植木職でもあった家の、八人きょうだいの末っ子として生れ、育ったわたくしには、格別の学歴とてなかった。新聞さえすらすら読めないような少年だった。それが、ときどき彼をたずねるようになり、彼の話をきき、ともに語り、彼の蔵書にしたしんでいるうちに、いつとはなしに詩を読み、詩を書くようになっていた。以来十余年間、彼のいつにかわらぬあたたかい愛情と、おたがい労働者であるということの親近感のきびしい指導のもとで書いてきたのである。
昨年、その彼が、多年の無理な労働がかさなって、腎性高血圧でたおれ、なくなられた。彼の死は、わたくしにとっておおきな衝撃であった。いまここで、彼にどう感謝し、どう追悼してよいのかわたくしにはわからない。
生前、彼から詩集出版をすすめられていたが、経済的な理由ではたせなかった。ここに一冊の詩集にまとめ、彼の霊前にささげる。彼が書きのこした作品は、すえながく多くのひとびとにしたしまれ愛されるであろう。彼が育てた詩人たちは、彼の遺業をまもり、書きつづけてゆく。彼の魂はわたくしたちの精神のなかに生きているのだ。ここに収めた作品は、一九五一年から現在までのもののなかから自分で選んだ。わたくしの年令から書けば、だいたい、二十一才から三十三才までの間に書いたことになる。
作品は二部にわけた。作品Iにいれたものは、山形県最上郡萩野村二枚橋部落で、開墾していた当時のものが多く、作品Ⅱにいれたものは、その後、同じく県内の蔵王鉱山に就職し、鉱員として働きながら、書いたものである。
これらの作品は、すでに二、三をのぞいて発表している。おもに、詩誌「詩炉」「角笛」「街」「詩の家」「詩人会議」などに発表し、そのなかの一部の作品は、金属鉱山関係の組合機関紙にあわせて発表した。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ 一九五一――一九五三
- 蕎麦
- 開墾
- 屠殺場
- 部落の道
- 朝のそば畑
- 父に
- 太郎挽歌
- 安夫の牛が殺された夜
- 麦
- 朝鮮
- 朝の停車場にて
- 挽歌
Ⅱ 一九五四――一九六三
- 就職の日
- 深夜
- 都会
- 鼠のうた
- 断片
- 馬
- おらの詩
- 旗あるか
- 小さな動物たち
- 酔眼にうつる街
- 長屋の詩
- 辛抱づよい者よ
- 村の駐在
- 昆虫のうた
- 硫黄
あとがき