1979年11月、おんばこ農場から刊行された真下章の第1詩集。第3回岡田刀水士賞受賞作品。
愛情 などという煮ても焼いても食えぬ代もので、豚飼いなど一生できるものではない。まして社会的責任だとか誇りだとかいう煽てにのるほど、お天気な風景でもない。
豚を飼うということは、豚といっしょに生活をするということで、云わば夫婦みたいなものである。いつも豚の死骸を胸うち深く抱いていることであり、豚と自分の肉体をぶっつけ合って走ったり、倒れたり、飢えたり笑ったり、豚と同じ臭いになることである。だんだん豚の貌に似てくるということであり、その貌から逃れられないということである。
だから豚との会話には英語でも、フランス語でも駄目だ。もちろん日本語でもない、豚語でなければならない。明日も決って泥臭い俺の言葉と、長靴の足音で豚どもはいっせいに腰を上げる筈だ。その時俺の日常はまちがいなく豚と抱擁する。
この詩集は、赤城山麓標高四○○米の火山灰地に生涯を終える生きものの、日々に一度づつ排泄される糞のようなものであり、その集積に他ならない。それにしても、こんなものを排泄するために多くの得難い先輩詩友たちに、どれだけ迷惑をかけたり手を引いてもらったことか。
(「あとがき」より)
目次
- 満月
- 伝承
- 雪
- 怒りは
- 再び
- 罠
- 眠り
- のように
- 糞
- 豚語
- 億年のはなし
- 豚としましては
- 邪鬼
- 来歴
- バローショウ
- 負債について
- だからと云って
- ひと言
- 心得
- 国道異聞
- 天の川
- 屠場休日
- 花
- 墓碑銘
- 畜魂碑
跋 豚語の詩について 長谷川安衛
あとがき