1963年1月、思潮社から刊行された深田甫の第1詩集。カバーは梅村豊。
もっとも深く沈潜し、陰険な視線で、存在のすべてを掴むこと、そして重要なのは、認識を存在にすりかえること――それが、詩人に課せられる、表現の使命であるとしたら、ほんらい詩集などと銘うって公表できぬほど謙虚であるべき証人でしかないのに、まったく個人的な出立点を確める必要があるばかりに、<すべては語りつくされている>にもかかわらず<落穂ひろいをする>豪放さだけには事欠かない通俗性をみずからの内部に蔵しているのを確認して、ほんとうに僕はなさけないのである。
詩は萬華鏡ににていて、内側の切片の刻みかたと、小手先のほんの僅かな傾斜とで、鎖ざされつづけている世界の様相が一変しもするが、材料の要素はなにものにも還元されはしないのである。このことは、快活な詩人にとっては、完璧な絶望なのである。しかし、生活のなかで絶望とはつねにその主体を通俗化する動機を具えているので、詩集を出させてもらうことで、不安の自意識から脱出できそうな幻覚をしとめるのだ。
だから、僕の場合にも、校正の赤インクを支えていたのが、恐らくは次の詩集をもおめおめと書くつもりと期待だけであったのは、きわめて恥ずべきことであったかもしれない。
しかも、昨今の出版上のしきたりである、好意ある解説すらも退ぞけたのは、無名の人物としては、おこがましいかぎりであるが、できれば中村光夫先生の一言を載きたかったがとても切りだせず、ただ放りだすだけで、すべての理解者から隠れていたいという卑法な底意から、単独で佇むことにしたのである。
生きていてくだされば、いちばん初めに喜こんでいただけたと勝手におもう故原田義人先生にこの書を捧げたいのだが、この我儘を許し、終始かわらず面倒を引受けてくださった小田久郎氏をはじめ、三田文学以来いまもって深い配慮をはらって下さっている白井浩司先生、詩らしきものを書く勇気を与えてくださった上田保先生、佐藤朔先生、江森国友氏をじめ旧三田詩人の諸氏、阿部弘一氏、また指が硬直しないよう日々の糧を確保してくれた友人、安藤嘉治、中野博詞、馬場邦夫、若松民男、恩師相良守峰、一ノ瀬恒夫、塚越敏先生、そしてもう汗がでるほど多くの方々に限りない感謝をむりじいしたいのである。
(「あとがき」より)
目次
- かもしか
- やぎ
- くま
- こよーて
- ねこ
- 旅人の掌には傷がある
- 夜の配慮
- 離れてゆくまえに
- 予感
- ふたりきりの端艇
- 愛と称ぶものについて
- もどらないで駆ける
- 岩にある森をあるく
- 夕映えにひらく
- 霧子にはぼくの知らない憶い出が指のはてにまで楽しく溢れていた
- 狙わずに射つ
- 動かない
- みえない家庭
- 沼での假象
あとがき