浮気町・車輌進入禁止 清岳こう詩集

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 1996年10月、詩学社から刊行された清岳こうの詩集。装画は岩原数子。


「そのおばあちゃんには、おじいちゃん以外に好きな人がおって、死んだらそっちを向いて寝たい、言うことやったと聞いちゅう。ほんで、今でもそのおばあちゃんは、好きやった人の方を向いちゅうと。」青年は、さも愉快そうに笑い声をたてました。 百年も前の恋、その恋の結末は谷一つ隔てて今も向かい合うお墓の形で遺っているとか。この話に、私はたちまち心奪われました。その後、青年の迷惑も顧みず、すでに人っ子一人住まなくなっているという集落を何度か案内してもらいました。
 南国の空を覆い繁り上がる杉、檜。くずおれかけた家々の側を抜け、境目もわからなくなった山田の中をつっきり、昏い木立をかいくぐり、熊笹を分け、なだれ落ちる茨を払い、あえぎあえぎ登って行くと、山の中腹に墓地が開けていました。天の光を受けとめる手のひら、そこはそんな一角でした。たぶん川床の石を運び上げ刻んだのでしょう、墓石は山風の形にゆがみ、雨水のしたたりのままに窪んでいました。行年大正六年七十四歳、行年大正八年七十八歳、行年昭和三十一年八十六歳、行年大正九年四十五歳。何体かの線彫りの地蔵尊をはさみながら、それぞれの夫婦の墓が一対ずつ西向きに並んでいます。ところが、はたして一組だけ異なっているのがありました。その夫婦はお互いの墓地の両端に離れていて、妻のはたしかに谷を一つ隔てた山の中腹を向いているのです。墓石を指でたどると、夫の方が行年明治二十九年八十四歳、妻のは行年明治三十四年八十三歳となっています。江戸時代の文化・文政の頃に誕生し、明治までを生きたこの夫婦に何があったのか、直接血のつながる者にとっても、それは謎なのだそうですが。
 それからのふた月ほど、私は憑かれたようにワープロのキーを叩きつづけました。キーの間から、かすかにかすかに谷川が岩を噛む音、木立の鳴る音が漏れ出て来ました。さらに、山に生きた人達の息遣い、三椏を蒸す甘い香りが。これらの様々を書き留めたのが「お笛恋語り」です。これは滅びた集落の昔語りではなく、私の胸には現代の恋物語として響いてきてなりません。
 この作品を書き進める中で、同時に、滋賀県を舞台とした「浮気町」の作品群も噴き出すように生れてまいりました。これは、現代にあってなお男生の経済優先の論理や強者の構造に組み込まれてきた一人の女性の、一度は進入禁止の領域に入り込みながら、そこからの脱出を父祖の地に求める心の旅分吾です。私にとって、この二つの作品は現代を、過去を、方言の、共通言のそれぞれの世界を自在に飛翔する翼となりました。こうして、高知県香美郡富家村の家かたぎに端を発する恋物語と、滋賀県守山市浮気町(ふけちょう)にかつて住んだ現代の女性の旅物語とを交互にない合わせた組詩を一冊の詩集として編むことになりました。
 詩集のページをめくってくださる方々、この詩集から湧きだす声に、音に、ともに耳を傾けていただけたら幸いです。この詩集に交錯する人を恋うことの哀切を、おののきを、ともに呼吸していただけたら幸いです。
 熊本県に生れ育ち、わずか十年を過ごした高知で土佐方言による詩を編むにあたって、この土地の有形、無形の風土に触発されたことはいうまでもありません。とりわけ、土居重俊、浜田数義両氏の編になる『高知県方言辞典』に大変助けられ、謝意を表するしだいです。なお、学問上は断定を避けてひらがな表記となっている単語にあえて漢字を当てるなど、変則的な方法を採りました。この点に関しましては、作品の性格上の表現としてご寛恕いただきたく存じます。また、高知方言による表記に関しましては、現在、高知でもかなり年配の方しか使い分けのできなくなっている「じ」と「ぢ」や「ず」と「づ」を言葉の本来の音を大事にする意味で「ぢ」、「づ」を必要に応じて用いています。さらに、詩篇中の固有名詞も基本的には一致させていますが、創作上の理由からいくぶんかずれを生じているものもありますので、どうぞご承知おきください。
(「あとがき」より)

 

目次

  • お笛恋語り ゆきの香が
  • お笛恋語り おていの骨の内側を
  • 浮気町・車輌進入禁止
  • お笛恋語り はつ夏が廻うて来るごっとに
  • お笛恋語り かえで紅葉はぜ紅葉
  • 浮気町で鮒鮨を漬ける
  • お笛恋語り 内紫を握らせて
  • お笛恋語り 月のひかりを身にあびて
  • 浮気町に秋が来た
  • おな語り 道おしえ
  • お笛恋語り あの人の強い目の光から
  • 浮気町・鮒鮨のうまい春
  • お笛恋語り 鶏歌いの時分まで外
  • お笛恋語り あめご二匹
  • 浮気町の木下闇から
  • お笛恋語り つくつくぼうしつくつくぼうし
  • お笛恋語り 遺言
  • 浮気町・近江商人成功談
  • お笛恋語り 百歳を
  • お笛恋語り HONDA・白ながす鯨
  • 富家村で富家村の寿司を
  • お笛恋語り 星の嫁入り
  • 明日は百笑へ


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