2015年10月、短歌研究社から刊行された尾崎左永子の第13歌集。装幀は倉本修。
永いこと、私は前歌集『椿くれなゐ』を最後の歌集にしようと思い定めていた。終戦前後に佐藤佐太郎門下となってから、戦後七十年という今年、七十年間も短歌に関わって来たと思われがちだが、中途で短歌から離れた十七年の空白、それを除いても五十年余、作歌を続けて来たことになる。その割には上達しないものだなあ、という感慨は別として、結局、人生の付録のような形で、周囲からの声に乗って、余分の一冊をまとめる羽目になってしまった。
なぜ前歌集でやめようと思ったか、といえば、まことに個人的な理由で、永年に亙って私を見守って育ててくれた夫尾崎が亡くなり、『椿くれなゐ』はその鎮魂歌という秘めた思いがあったからである。個人生活に関してはなるべくは黙秘したいところだが、私が最初歌壇に認められた処女歌集『さるびあ街』(松田さえこ)の一書が、当時としてはまだ珍しかった離婚と女性の独立をテーマとしていたため、そのイメージが永く随いて回るという状況があった。放送界で仕事を持ちながら、離婚後五年を経て、私は尾崎と知り合い、結婚、一年後に子を授った。尾崎は私と同年だが学者であり、間柄はほとんど師弟のような感じ、というか、私の考え方、生き方を根本的に教え育ててくれたような気がする。結婚生活は彼の死まで四十八年、その間娘を生み育てたが、尾崎とは一度も諍いをしたことがない。嘘だと思われそうだが、本当の話である。要するに、向うが大人だったのだ。その彼が七年に及ぶ癌との闘病生活のあと遂に亡くなり、私は彼への感謝と鎮魂の心をこめて『椿くれなゐ』を一冊とした。
だからもう、次の歌集を出す気はなかった、というのが本音だった。
しかし、周りからの強いすすめもあって、今回、余計な一冊を上梓することになったのは、思いもかけず一人娘を癌で亡くしたあと、遂に全く孤りになってしまった私の一種の力綱ともなった短歌への感謝、といってもよいのかもしれない。
非常に短い時間での編集であり、取捨もかなり粗い感じもあるのだが、これが現在の私にできる精一杯の精神記録であると思っている。
すでに第三歌集『炎環』のあとがきにも明記しているように、「短歌とは韻律を持つ現代詩」であるという自身の定義は今も変っていない。今回はかなり取捨をしているために、発表時の一篇の「流れ」が寸断されている面もあり、拙速の感はまぬがれ得ないが、それもこの年齢になっては致し方のないことなのだろう。色濃く私に纏わりつづけた『さるびあ街』からの脱出が出来たとすれば、今は亡き夫と子への虔ましい献辞となっていることを信じたい。
(「後記」より)
目次
Ⅰ
- 海の街に棲む
- 雨季微韻
- 直射光
- 流水抄
- 試行数へ歌
- 想夫恋失楽
- 終のサルビア
- 万緑孤行
Ⅱ
- 雪の無言
- 明日は明日の
- 鼓動
- 風の日
- 無題
- 悲喜片々
- 螢のころ」
- 晩夏のうた
- 死生「一」の字に寄す
- 著墓近景
- 時を渉る
- ことば
Ⅲ
- 時間
- 味覚
- 想念
- 存在
- 昇天
- 無心有情
- 有明周辺
- 心のかたち
- 冬の光体
Ⅳ
- 蜻蛉の譜
- 砂時計
- 音
- 一日を愛す
- 清浄心
- 光陰片々譜
- 幻の声
- 一瞬一過
- 病床雑稿
- 夕虹
- 薔薇断章
後記