禁煙物語 丸山竹秋

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 1951年4月、同和春秋社から刊行された丸山竹秋の短編小説集。装幀は森省二。

 

 丸山君は大正十年福岡県に生れた。広島高等学校を経て、東大の哲学科に学び、後に二年間大学院に於て哲学その他の研究をした。大体、君は文学を研究する目的をもつて哲学を研究したという変り種で卒業論文は「カントに於ける形而上学の概念」というフィロロギッシュなものであつた。しかも大学院在学中に、先輩友人たちと「しきなみ短歌会」をおこし、現在、月刊短歌雑誌『しきなみ』の編集責任者として歌壇に活躍している。万葉集新古今集についてなされた独自の研究は次々と『しきなみ』誌上に載せられている通りである。一方、その志すところの小説については、在学時代にはやくも「天皇と赤猪子」を『新思潮』に発表し、その後も寸暇をさいて制作に努力してきた。このたび、特に同和春秋社中島信不氏の御尽力によってそれらの小説が一本にまとめられたことは、われわれ『しきなみ』同人としても欣快にたえない。
 君の小説には、いわゆる哲学的な臭味はない。しかしながら、人情の世界を深く見つめ、人間の尊厳性を追及しようとする意図はいたるところにあらわれていると思う。たとえば「禁煙物語」は人間の自由と不自由をするどく追及して意志の勝利を、「天皇と赤猪子」は国民性に対する牧歌的なるものゝ高場を、「レイテの落日」は民族間の悲劇に自らを葬り去った一兵士の真情を、「日本はるかなれども」は人間の良心を監視する者の敗北を夫々描き出している。以上の諸作のうち、「日本はるかなれども」はその特殊の材料の故に高く評価すべきであるという人もある。
 しかしながら、私個人としては「ファウスト先生東京を歩く」をもつともユニークな作品として推したい。由来諷刺小説はむつかしいものとされ、日本の作品の中でもこれといつたものは少いのであるがいま君のこの作品を得たことは、日本の小説界に一波紋を投げかけるものとして興味深く思う。之は発表された時から毀誉褒貶のもっとも甚しかつたもので、一篇をつらぬく喜劇的アイロニーの針は痛烈に現実をさしつらぬいている。祈誓姫が暴威をふるうあたりは、私の快哉を叫んだところであつたが、けだし作者の意図には、心理学に対してある種の問題を呈供するといったものがあるのかもしれない。
 要するに君は多力者であつて、君の作品に繊細な、キメのこまかい、いわゆる”完成された小品”を期待する者があれば或いは失望するかもしれぬ。君の本領はあくまでも営々たる努力と、阿川弘之氏の言われる通りのその体格にも似た逞しいおゝらかさである。
 もちろん、君自らも言う通り「これまでのは習作にすぎない」のであつて、学問的な造詣の深さが真に作品の上に光輝を放つのも、もつぱら今後のことに属するであろう。その描写力の冴えと相まって、今後次々と力作を発表され、文壇に清新の気を吹込まれんことを刮目して待っている者である。
(「解説/山根謹爾」より)


目次

  • 天皇と赤猪子
  • レイテの落日
  • 日本はるかなれども
  • 禁煙物語
  • ファウスト先生東京を歩く

解説


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