鯉 宮崎孝政詩集

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 1929年9月、『鯉』社から刊行された宮崎孝政(1900~1977)の第2詩集。

 

鋲を打つ男 萩原恭次郎

★宮崎孝政とは十八歲から二十歲頃まで偶然に未見のまま封筒やハガキをやりとりした。その中には彼の住んでみた能登牛島の鹽の香がまじつてゐた。ただ未だにその頃を擴城大させる記念は依然として變らない。一風變つた彼の筆蹟である。
★記憶に熱を與へることはうれしい事だ。大よその過去の記憶は、我々には現在必要する熱火のために化石して死んでゐるからである。
また十幾年といふ厚いガラスを透して見れば、凡てを全然、心臓の壁から、その打音までちがつた人間が、その兩極に二人立つてゐるといふ事さへもあり得る。そんなことまで考へさすのである。
★私は消えて行つた年月に今新らしく逢ふ。それはそれ自身で一つの白い百合と紫の菫の花のささつた古典詩である。
★こまかい地圖入りの、東京のどこかの一角を書き、自分の下宿に矢や黑點をつけて、逢ひたいといふハガキ。それは幾年でも東京生活をした者は必ず見舞はれる、一つの特殊な感情をそそる類の便りである。それを宮崎から自分は受取つた。それから彼の第一詩集『風』と。
★以後三四年互ひに東京にゐて、そのまゝに過ぎてゐた。昨年の五月頃、私達は『×××××』といふ雑誌を出した時、自分は校正に澁谷の印刷所にゐて、ふと宮崎君といふよりも彼の存在を思つた。そこの主人も知つてゐる關係上、迎ひに行つてもらつた。私は校正をしてゐた。そこへ色の黑いひきしまった體軀の男がやつて來て、聲をかけた。眼は小さいがくるくるとよく廻つて輝いてゐたのである。
★自分は立つて握手した。その時我等は何んか心からある温い、かあと胸を熱して來る感情をもつた。校正が終ると自分は急いでゐたので、莨を一二本吸ふ間だけ話して別れた。
★次は昨年の御大典の用意を政府がしてゐる頃である。草の生えてゐた下北澤の詩神社のがらんとした中に、彼は一人ころがつてゐた。その夜我等は語り、冷やりするビールを飲んで熱したことを思ひ出す。何を語つたか忘れたが、その夜は強い印象を今日まで残してゐる。
★それから今日に及び友情は互ひに新らしくされてうち込まれた。過去はしぼんだ花であり現實は血である。このカンヌキはいろいろのゆるぎにゆるくならないやうにしたいのである。然しいつも自分は友に對して薄いことを恥ぢる。ある時は意識的にも薄くなる。理由がないわけでもない。私を知つてくれた人はそれで解る。宮崎も今日は解つてくれたやうに思ふ。その境地を越してから、我々は鐵火にも耐える友情に燃えられるのだ。勿論、今日において私は彼に曇つた凸面鏡をもつて、彼を見てはゐないだらう。私は一歩退いてゆるがせに友に對するととをしない。
★今日、私は昔日の如く、詩を書くこと、及びその人、詩集出版に對しても、ひりひりする感激をもつてゐない。だがこの度宮崎が苦心して選りに選つた詩を集めて、自費出版する努力、さうしなければめられない心に對しては、また異つた今日持つ感激を覺えるのである。然もその詩集に、自分は讀者の一人として『ブラボオ』を叫ぶに止まらずして、一種のステーヂに立たせられ、一種の演説する役廻りを持つた。
★まづ詩の鑑賞家となることは最も至難である。今日、私は厳密に言つて詩の鑑賞家とい、範疇にゐない。私に直線的に全體的に、意識せしめた宮崎の詩の特質は、何人の詩にもダニの如く食い込んでゐる、それがために焦點の明確さを外す所の冗慢性が勘い事だ。それを彼自身の氣質から來る一つの清純さが砥がれてつつんでゐることだ。近代詩の最大な缺陷はこの冗慢性それ自身が持たねばならぬ一切の認識不足がったらす、ぼろとくずとぬけがらが、一種の飾りとされてゐる所に因る。
★如何なる立場の人において厳格な意味の主観性と客観性と大體において普遍性をもつてのる。物はそれ自身物であるからだ。だが各人の特質性によって表現された作品に至るとそこに大なる差を生ぜしめるに至る。赤い花を見て、ある人にはそれが黑い皿に見えたり、ある人には黄色い煙に見えたりするのである。
★だが藝術は普遍性をもつた正確な表現によつた時にのみ水平線を拔きん出ることが出來る。普遍性であることは複雑性が統一を持ち、複雑性とは我々が持つ社會性全般も當然その中に加へられねばならない。我々の個人意思は、それ自身として活躍しても、その意思の中には全社會性が浸透してゐるからである。
★宮崎のこの詩集は全體が抒情詩である。抒情詩は性質として主觀的であるが、この詩集においては意思的なかつ客観性を多分に持つた強靱な作品が支柱となつてゐるやうに思ふ。
★だが今日我々の周圍には自らの主觀を風の如く白ひの如くふりまき、それ自身だけで足りる如く思惟し、その雰圍氣の中に何物かを浮き上らせる方法をとつてゐる最る明確を缺く、抒情詩の一群がある。これは我々にとつては最も廻りくどい。我々はさうした雰圍氣を必要とするより、實象を明確にした敏速なテンポを、社會と自個の關係における自個が、要求してみるととを知るのである。
★我々を初め多くの藝術家は、いつもその反面の陥り易い安易さを持ちたがる。この詩集の中にも、さうした危險に身をさらしてゐる詩も見られる。實象を明確にせずして、それらしい思はせ振りは、その罠は、アマチュアの中にのみ通用出來る性質である。
★作者を作者らしくといふことは最る道德的である。然し藝術はあくまで道德でも習慣でもない。それ等と、より別な道である。だが、それらの道德や習慣を更にフレッシュにして、現實にむすびつける役割りは、また自然になされ得るだらう。藝術はそれ自身發生的意思を最$重要視するからである。この自然發生的意思(それはそれ自身社會性そのものである。)が、社會のどの部分に結びつけられてゐるかによつて、藝術は(中に文學は)決定づけられる。
★それが最も我々に判り易く結びついてある詩。たとへば『秋』『田舎者』『寄居蟹』『ぶんぶく茶釜』『馬』『火桶を抱く人』『噴火山』『釘の詩』の主流、『白つぽい陰影』『香箱蟹』『川』その他の系列。
★これらの詩を自分は宮崎の詩として特に擧げたいと思ふ者である。それはかゝる詩の領域にまで到達してゐる根抵こそ、強い電流によるベルを鳴らすことの出來る詩であるからだ。
★現在日本の詩壇は過渡的騒擾を極めてゐる。それはそれで正しい。だが真にその行く道を明示して進んである者は尠い。今、一方に急進的なプロレタリア詩、超現實主義の作品の汪溢している時、宮崎の詩の姿は、その華々しさには匹敵出來得ないだらう。だが詩が最もよく伸長してゆく道は、前掲の如き詩が土臺となつて築かれ、それを一歩として着々とゆるがず、確固たる自信の鋲や釘やねぢによつて、次第に多くの材料を組み合せて築き上げられ、創らるべきであることを自分は信する。すべて作品たる價値をもつものは、一つの土臺を踏みしめて立ち上る。一つの土臺を認識出來得ない限り、それの伸長は明日を約束せしめない。
★私は思ふ。この詩集の詩の配列を見ても、宮崎がそれを意識してゐることは察知出來る。
★我々は一歩をここに見る。そして宮崎は今日以後更に激しい清算を自分の作品に加へるだらう。彼は自己を清算する力を、その土臺を踏んだ力によつて成し得られるからだ。
★私は言ふ。現在の彼の一系列を成す作品が非現實的であるとか観念的であるとかいふ言葉は、言葉それだけを殘して、一蹴されて好い。新興の清烈を極めてみるこれらの詩それ自身の意思こそ、すべての現實をも、次にくまなく見透しを與へさせる所の眼であり、一切を拂ひのける腕でもあるからだ。大道を發見して歩き出した者は、その極點をいつも外さずにみつめて歩くことが出來るからだ。
★私はこれを宮崎からの催促のハガキの前で九十度を越してある寒暖計の下で書き終る。彼の讀者は私の言葉以外、私の言葉を先入しないで別の價値を各自に見つけ出すだらう。
★君の泉を濁したことを謝する。
(「鋲を打つ男/萩原恭次郎」より)

 

 

 詩集『風』以後、僕は好んで壓搾機の前に立つた。機械につねに激しい電流を通じた。共處で、骨ぐるみ打ち砕いてゆく重苦しい鐵板の上下と、歯車の尖影が、自分の詩作にうつるのを見た。

 ねばりと清澄なる詩魂。僕は洗煉を受けながら、詩歌の大道を求望した。二つの眼は、いつか、彫り込まれた石のやうに冷S眼の底に沈んでいった。
 眼は本道に垂れ下る心の針だ。僕は、その針の先端に頑強に自分を支配する一本の道を探し當てようとした。
 肌の荒い道。がさがさとした道は、鋲を打つた靴が踏み締めるにふさはしい道だ。だが、道は、ともすると、僕を浮上らせ、へなへなに疲労を與へて、一切を放換させようとさへした。然し、僕は自分の體力的な詩魂に念願をもち、逆手を使つて締め上げてでも此の道を征服しようとした。『鯉』一巻は、過去四年間の格闘記録であり、清算である。
(「巻末の言葉/宮崎孝政」より

 

目次

鋲を打つ男 萩原恭次郎

・田舎者

  • ゆく秋の詩
  • 蟲を賣る店
  • 蟲を買ふ男
  • 草の上 その一
  • 草の上 その二
  • 白つぽい陰影
  • 花火
  • 田舎者
  • 香箱蟹
  • 寄居蟹
  • 深山すみれの詩

・天上の櫻

  • 天上の櫻
  • 月夜
  • 早春小景
  • 早春食堂
  • 雪の夜
  • おやすみなさい
  • からす瓜の詩

・心の門

  • ぶんぶく茶釜
  • 火桶を抱く人
  • 壁一重の隣家
  • 噴火山
  • 釘の詩
  • 心の門
  • 定石

鋼の藝術 杉江重英
巻末の言葉 宮崎孝政

 

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