さるびあ街 尾崎左永子歌集

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 1989年2月、沖積舎から再刊された尾崎左永子の第1歌集。装幀は戸田ヒロコ。附録栞は、岡井隆「『さるびあ街』のころ」、久保田淳「疾風と若葉と」、田中子之吉「『歩道』草創の頃」、吉原幸子「”愛”による幸と不幸」、春日井健「『さるびあ街』の人」。


 多勢の方々の好意で、ともかく「さるびあ街」が出版されることになった。この歌集に集めたものは、昭和二十五年から三十一年の間の作品の中から選んだ。私が佐藤佐太郎先生の門に入って作歌をはじめたのは、丁度終戦の昭和二十年からであるが、初期のものは除いて二十五年以後のものを集めた。それでも、佐藤先生の選を経たものだけで約七百首程になつてゐた。それを削り削りして約四百首を以て構成した。この自選は、或ひはいくらか己れに厳しすぎた嫌ひがあるかもしれない。しかし捨てたものは惜しむまいと思ふ。私は自分の作品に甘えたくない。
 誰でもが感じることであらうが、私も歌集の題名の決定にはずゐ分苦しめられた。結局三転四転して、雑誌に発表した一聯の歌の題をそのまま採つたのであるが、今では、このやや不均衡な語感に捨てがたい愛着を感じる。これらの作品を生む背景であつた実生活の上では、精神的に激しく苦悩した時期が永くつづいてゐた。自己本来の明るい性格と、体いっぱいに耐へて来た暗い精神的風土とのギャップ、華やかさと寂しさ、或ひは志向する清明の歌境と、現代人としての思考的な混乱との矛盾、さらした相反した二つのものが常に私を困惑させ、苦しめて来た。私は、冷い驚にみちた晩秋の街と、その一角をある時鮮烈な朱で彩るサルビアの花に、自分の中のこのやうなせめぎ合ひの色調を感じるのである。そしてこの歌集は、私の二十代の墓碑銘であるとも思つてゐる。
 私が佐藤先生の門に加へて頂いたのは、まだお下げ髪の少女の頃であったけれど、佐藤先生に師事してからも、私は決して真摯な実作者ではなかった。
 或時は短歌の形式を憎み、或ひは用語と韻律の呪縛を逃れたいとあせり、伝統の重味に反撥し、他に新しい表現の場を求めようとした事も再々あつた。私のからした態度については、親しい友人達からも、信念がたりないとか、足が地についてゐないといふ批判や、忠告もしばしば受けたけれども、信念といふものは、他から教へられた事を鵜呑みにして出来るものではなく、自分で苦しみ、対決して、徐々に一歩一歩確かめて行くものなのだらう。私は自分の分裂的な傾向をマイナスにしたくないと思ふ。抵抗のない所に、真に正しいものは育たないといふ意味も含めて。
 幸か不幸か、この歌集の出版を前にして、私の短い家庭生活も終りをつげた。生活の激変から、どんな歌が生れて行くのか私は知らない。しかしどんな場合でも、作歌上に清潔な眼と気凛とを失ひたくないといふのが私の切実な願ひである。
(「後記/松田さえこ」より)


 松田さえこの名で刊行された処女歌集『さるびあ街』が、時を得て再刊されることになった。じっに三十二年目のことになる。
 私にとってはすべてが遠い代のことのように思われ、”松田さえこ”という著者は、今の尾崎左永子と関わりなく、昭和三十年代に活動した一人の若い短歌作家であるように感じられてならない。
 しかし、忘れ得ぬ思い出もまた多い。
『さるびあ街』は二十代の歌集であると同時に、愛の破局と別離の歌集でもある。戦後、日本がまだ貧しく、女性が独立して働くことの難しい時期で、離別を決意するまでのためらいも切実であった。自ら決めた『さるびあ街』の題名がよくないというので、亡き恩師佐藤佐太郎先生の不興を買い、一時準破門状態になったことも今はなつかしい。題名は表面上のことで、当時若さにまかせて結社を逸脱しがちだった私への戒しめだったのでもあろう。
 この歌集は昭和三十二年度の日本歌人クラブ推薦歌集に選ばれた。同時に私は、家を出て放送界に仕事を持ち、文筆生活に入って、やがて長く短歌と訣別することになる。私生活上では、新しい恋人を得、子を生み育てたが、その生活もすでに銀婚を過ぎた。いま、改めてこの歌集を読み返してみると、二度と還らぬ青春の熱い涙がこもっているようで、この世界を許容したい気分にもなるのである。
 初版本と同じ光風会の山田茂人画伯から絵を頂くことができたのも、たいそう幸せであった。なお、『さるびあ街』は「現代短歌全集」第十三巻(筑摩書房)にも収録されているが、「現代短歌大系」第十巻(三一書房)所収の「さるびあ街抄」は、実はそれ以後の作品であり、編集上の連絡不十分によって生じた錯誤である。『さるびあ街』の作品としてそこから引用されることが時々あるので、ここに明記しておきたい。
(「再刊あとがき/尾崎左永子」より)


目次

序 佐藤佐太郎
・葉脈<一九五〇―一九五三>

  • 風ある朝
  • 長者ヶ崎
  • 没日の坂
  • 遠き岬

・黄の蕊<一九五四>

  • 雪原
  • するどき葉
  • 夕光
  • 北窓の霧
  • 水郷

・白き牙<一九五五>

  • 白き牙
  • 枇杷の実
  • 冬の苺
  • 夕雲
  • 秋より冬

・さるびあ街<一九五六>

  • 黄色の鞄
  • 別れ
  • 茎長き花
  • 風紋
  • 海光る
  • サルビア
  • 危懽
  • 霧しづむ街

後記
再刊あとがき

 

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