1996年10月、IDENTITYから刊行された井口紀夫の第2詩集。装幀は矢野眞。
一九五七年に最初の詩集「カリプソの島」を出したあと、「歴程」を中心に作品の発表を続けていたが、六二年に大学院でMAを貰い、時事通信に就職してからは、文字通り詩作をする時間も余裕もなくなった。それで自分でも詩作はやめたものと決めていた。
それが一九九五年の夏に、三十三年ぶりに再開したのは、主に二つの理由からだが、一つは頭は使わないと早くボケると考えたからであり、もう一つは初詩集を出したあとの作品がロクでもないものばかりだったからである。いずれは永久断筆へと移行するにしても、その前に形を整えておきたかったのである。だからと云って、この詩集に収められた作品が自分で満足するものだけとは限らないが。
後半の二つの作品でアングロ・カソリックと、一般に云うカソリック、つまりローマ・カソリックとの違いについて触れているが、この二つは違う、違うと声を大にして云うほどには違わない。トップがローマ法王であるか否かの違いだが、それこそが大きな違いだと云われれば、それまでである。
キリスト教が生活の隅々まで浸透していない日本の英文学者が、T・S・エリオットが「自分の宗教はアングロ・カソリック」と云ったことを捉えて、余りにも簡単にカソリック、カソリックと、まるでエリオットがローマ・カソリックに改宗したかように論じているので、「アングロ・カソリック」を「イギリス人のカソリック」と勘違いしているのではないかと思い、それは区別して考えなければいけないと指摘する必要を感じたのである。
アメリカ国籍だったエリオットが一九二七年にイギリスに帰化して、その翌年に自分はローマ・カソリックだと表明したら、これは当時としては一種の背信行為――とまでは行かないとしても、それに類する不誠実な言動であることに変わりはない。そうしたことを考えない日本の英文学者は少しノンキすぎると思う。エズラ・パウンドが処刑を免れたのは、彼がアメリカ人のままだったからで、その為にヘミングウェイなどの助命嘆願が効を奏したのであり、もし彼がエリオットのようにアメリカ国籍を放棄し、イギリスに帰化して、ムッソリーニに加担していたとしたら、モントゴメリーは即刻パウンドを銃殺していただろう。
(「はしがき」より)
目次
はしがき
Ⅰ
Ⅱ
- ギトンは語る
- 1キョトン
- 2劇場へ行く
- 3シラクーザへ行く
- 4教会へ行く
- 5エリオットを語る
- やっぱりアングリカン
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