1959年9月、吾妻書房から刊行された杉本駿彦の詩集。装幀は亀山巌。
私は長い間 poésie の領域について考えてきた。形式はソネットであるが、小説風の発想で一つの連作を試みたいと考え、ようやく宿願のある部分をこの詩集において達成することが出来たのは、なんと言っても喜びである。このような形式のものは、最初であると同時に終末をもたなくてはならないと思っている。ある緊張した情感とか思惟とか言うものは、必要以上に保持できがたいからである。従って、二度とこの形式は採用しないつもりである。表現はそれ程窮屈なものではなく、探究すればする程新しい形式は案出されると思う。その意味で、やがて発表する予定になっている詩集『マリアナ』を見ていただければ、私の考えているところは御諒承ねがえるであろう。――この詩集における人名 Sophia は仮にソフィア・アンドレェヴナのソフィアを採用した。私としては名前にこだわる理由もなく、ルミィ・ド・グウルモンがシモオンを呼び掛けのかたちで、一連の詩作品のなかに導入したのにほぼ似ていると思っていただきたい。はっきり言えば作品における人名などは、そんなに大きな意味を持つものではない。ただ詩人の意識するにしろ、しないにしろ、書かした動機づけには考えてみなければならぬものがある。ソネットを書こうと思ってからこのかた、その完成に対して多大な力をつくし、刊行に際しても支援をおしまなかった清水由紀子さんの名を誌したい。私が敢えて献詞にその名をあげ、生涯の忘れがたい恩恵者とした理由はそこにあった。……
畏友亀山巌氏にお願いして装幀のご尽力をいただいた。美しい意匠によって飾ることの出きたのも望外のよろこびである。印刷一切は、先輩安部宙之介氏のお骨折により、造本その他を見て下さった亀山竜樹氏のご厚意も忘れがたい。ここに記録して感謝の言葉にかえたいと思う。
(「覚書」より)
目次
・焔のソネット
- 拝読はうつくしい日射のなか
- 相求める心は 季節の風にも
- 羽毛をむしる
- 何がこのように 私を
- ひとを愛することの
- 女は恋情(アモール)のなかに
- くちづけは探る 乳房の底を
- 私は 聴く 苦悩のあいだから
- 夜の声がする
- 春の夜も終わろうとし
- 微雨がやってきた
- 愛は試練を
- 春の夜は ながい黄昏の時間を経て
- 私の頭を 雨が濡らすように
- よっぴて雨が
- 雨が罷み
- 風のなかに 塵埃(プーシエル)はとび
- その日 南風が
- あるときは 幼児のように
- 胸のつぼみは堅くはあるが
- La port etroiteのなかの
- 曇り日の窓際に
- 春には珍しい雷鳥が
- あなたは拗ね そして怨み
- あなたは自分のために泣き
- 私はもうイサカの島に
- 私たちはもっと自分を
- 二重苦に生きる背徳の日日
- よく話合ってみた
- 寂しさに耐えるのは
・緑のソネット
- 雨は 街角の銅像(ブロンズ)の肌を濡らし
- 真昼の池に あなたの影
- 矢車がきりきり廻る日の朝
- 海風に吹かれる日は
- 関東南部は雨に閉ざされ
- それは微かな物の匂い
- 寂しがらせるなSophiaを
- 大麦は熟れ
- 曇天を刳り抜く 青い空の
- 窓から俯瞰する油壺一帯
- 網袋には栄螺(さざえ)
- 私は遺書のように
- 昔からひとびとの
- 消え去る一秒を惜しむ余りに
- 雨さえ罷めば
- 故里の五月を思うと
- 故里の土に帰つた父母は
- あなたは急ぎ足で
- 仮令(たとえ) mademoiselle(マドモアゼル)を
- 深夜の甃の上を あなたは歩き
- あなはは珈琲を飲み
- 雨催いの日
- 解放される日がないと
- あなたは ペルシヤ文化の
- 唄うのは Santa Lucia(サンタルチア)
- 喜劇役者は
- あなたは賭ける 青春の日日を
- ペルシヤ展の彩文土器
- 折からの夕映に
- 岡の疎林を風は抜ける
覚書