1990年10月、書肆山田から刊行された木村迪夫(1935~)の第10詩集。装幀は青山杳。著者は山形県上山市牧野生まれ、刊行時も牧野在住。
今年は春さきからどうもおかしい。四月の芽ぶき、開花期は異常に寒く、サクランボの花は思うように咲ききれなかった。プラムなども咲くには咲いたが、蜂も飛ばず受粉ができない。雨期の六月は逆に旱魃ときた。くだものの玉はりは悪く、ぶどうもリンゴも小粒小玉ばかりだ。稲、野菜なども例外ではない。
七月。梅雨あけの今どきになっても、雨はあがらない。スコールのような激しい雨が毎晩のように襲ってくる。今年も寒い夏なのでは、と村びとの気持は安まらない。暑い日がやって来れば来たで、今度は水不足の心配だ。心配するために生れてきたようなものだ。
百姓が百姓仕事だけでは暮しがなり立たなくなってしまった、という現実も一方には存在している。いまや日本の村じゅうが兼業化してしまった。わたしの村も同じだ。そしてわたしもだ。自治体職員だったり、農協職員だったり、工員だったり、スーパーのパート職員だったりというように。
村の風景も変った。萱葺き屋根などは、わたしの村ではもう見られない。痛やチョコレート色のトタン屋根が、陽にさからいギラギラと光り輝いていて、まぶしい。
けれど家の奥座敷には累代の位牌があり、線香の煙は絶えない。村祭りは昔どおりにあるし、畦せせりはあるし、屋敷の境い争いもときどき。変ったことと言えば、昔のように派手に丁丁発止とやるのではなく、陰気臭くなった。知的で陰気臭くなってしまった分だけ、村も人も近代化されたというべきか。厳しい村ぐらしのヒズミの由縁なのか。
それでも、自死者が出たとか、暮しをすててマチ場に下ってしまったという話は、ことマギノ村に関しては聞かれない。みんなこの村に生れ、この村で死んでいく。わたしもだ。
(「あとがき」より)
目次
- むら・幻・方法
- 夢の記録
- 魂立ち・霊立ち
- 少年記
- 一番遠い場所
- 陽の国のむらの記
- 見える場所で
- 東京へ
- 異郷への途
- まぎれ野の
- マギノ村
- むら論
あとがき
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