2001年7月、砂子屋書房から刊行された池田はるみ(1948~)の第3歌集。装本は倉本修。
兄姉(きゃうだい)は病み父さんはいよよ老い二上山は晴れてゐますぞ
と詠んだ前の歌集から四年がたちました。この歌集は、その後の運命がわたしに襲いかかるのを、棒立ちになりながら受け入れて行く過程を歌っています。わたしの大切な身内を、父や義妹や長兄を逝かしめました。夫の恐ろしい病の予後であったことを考えると、過ぎ去ったことが夢のような感じも致します。「板コ一枚の下は地獄」のわたしというボ口船は、もっとひどい荒波に揉まれながらこの歳月を生き抜いてきたことになります。
亡くした人達は、近代日本の価値観をたっぷりと身に付けた、いわば近代日本の優等生でありました。もちろん生きている間は、そんなやさしいことは言い合いませんでした。みんなでぼろかすに言っているような肉親でした。立身出世をし、親孝行であり、男尊女卑であり、家父長制の父として見事にその役割を果たした人達です。義妹も、下町の商家の家付き娘として養子を取り、家や両親を大切にしたのです。彼等の体を吹き抜けていた近代日本の価値観をわたしは今、いとおしみます。ぼろかすに言っていた彼等の価値観を哀惜し、働哭をするのです。わたしには彼等はうつくしい近代日本と共に滅びたかったのだという感じがしないでもありません。この間の歌を、わたしは現実に即して平らに表現したいと考えました。庶民を真摯に生きた彼等には、文学の学の高さより、文芸の芸の平らが相応しいと思ったのでした。現実の凄さに、どのような虚構も受け入れられなくなっていました。わたしはそれを恥じるのですが、身を低くして表現をするより他なかったと思うのです。それは何かすがすがとしてそう思えるのです。
夫はお陰様でこの間を無事に切り抜けました。この歌集を『ガーゼ』としたのは、傷口をやさしく守ってくれたうすい布への愛着からです。この間を支えて下さったすべての人や極楽に逝ってしまった父・兄・義妹に心からの感謝を捧げます。
(「あとがき」より)
目次
・ガーゼ 一九九七年
- 皮膚科
- さくら
- 桃の里
- 銀婚
- 安楽
- 雀の学校
- 清新町盆踊り
- 沼
- 夏風邪
- 富田林にて
- 紀の国の
・天竺川 一九九八年
・東京タワー周辺 一九九九年
・過去の言葉 二〇〇〇年
あとがき
NDLで検索
Amazonで検索
日本の古本屋で検索
ヤフオクで検索